職業遍歴重ねた乱歩  ミステリー雑学百科6

 推理作家は作家として世にでる前にどんな仕事をしていたのだろうか?
 まず日本の場合から見てみよう。
 種々雑多な職業遍歴を重ねた記録保持者は江戸川乱歩と水上勉。
 乱歩は作家専業になるまでの八年間に、三重県鳥羽造船所の事務員、団子坂の古本屋自営、夜泣きソバ屋、大阪時事新報記者、日本工人クラブ書記長、ポマード製造業支配人、弁護士事務称の手伝い、英文タイプライターの行商、大阪毎日広告部員などをはじめ数々の職業を体験。また水上勉も三十二もの仕事をしたという。
 学生時代から才能を認められ、そのまま作家になったというのは、山田風太郎、大藪春彦、海渡英祐、夏樹静子、栗本薫、大沢在昌など数えるほどしかいない。
 当然のことだがサラリーマンの体験者が多いのである。
 その中身は多彩で、笹沢左保は郵政省、齋藤栄は横浜市役所、西村京太郎は人事院、高柳芳夫は外務省と結構公務員も目につく。高柳は外交官から大学教授に転身、かたわらミステリーを書いていた。
 検事から弁護士になった佐賀潜、検察事務官だった結城昌治など司法関係者もいる。
 推理文壇の大御所松本清張は朝日新聞社の元広告部員だったが、新聞記者出身の推理作家は多い。旧中国大陸で記者をしていた島田一男、中薗英助のほか、朝日の伴野朗、日下圭介、読売の菊村到、佐野洋、三好徹、毎日の多岐川恭、小峰元、長井彬、中日の和久峻三、北海道新聞の高城高、岩手日報の中津文彦、最近売れっ子の横山秀夫も上毛新聞の出身である。もうこの内の何人かは亡くなったが、異色なのは和久峻三。ミステリーが書きたくて科学記者から弁護士に転身、現役の弁護士と推理作家の二足のわらじをこなしている。
 ユーモア・ミステリーで若手作家の人気ナンバーワン赤川二朗は団体職員だった。亡くなった石沢栄太郎も同じ。高木彬光は飛行機会社の技師、陳舜巨は自営の貿易商、土屋隆夫は化粧品会社や映画会社の宣伝部や小劇場の支配人をやっていたこともある。
 森村誠一はホテルマン出身。「高層の死角」や「人間の証明」などホテルを舞台にした秀作が多い。小林久三は松竹のプロデューサー、今は亡き仁木悦子は童話作家、山村美紗は中学教師だった。
 ミステリー専門誌の編集長が攻守所を換えた例もある。エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジンの都筑道夫、生島治郎、ヒッチコック・マガジンの小林信彦などはその一例だが、「虚無への供物」の作者中井英夫は、短歌雑誌の編集長だった。
 しかし、これらの中でも最も異色なのは、シャンソン歌手の戸川昌子と紋章上絵師の泡坂妻夫だろう。ふたりともまだ二足のわらじをはいているが、紋章上絵師というのは、紋服に各家の紋を書き入れる絵師のことである。
 こうして見ると、どんな仕事をしていても才能があれば推理作家になれることがわかるはずである。


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