ライネル・ヘス
ルドルフ・ヘスの孫ーライネル・ヘス
「名前を変えても、何も変わらないと思います。祖父が何者なのか、自分が知っているだけで、もう充分です。母方の姓を名乗っても、私が、あのヘスの家系の人間であるという事実は、変えることができません。」
ライネルの祖父、ルドルフ・ヘスは、アウシュビッツ強制収容所を建設し、所長を務めた。ガス室で200万人を殺害したとされる。戦後裁判にかけられ、収容所の遺体焼却所の外で絞首刑に処せられた。
エルダド・ベック(ジャーナリスト/ホロコースト生存者の孫)「私は一人のジャーナリストとして、ライネル・ヘスに会いました。アウシュビッツの所長だった男の孫から手紙が来たと、ホロコースト記念館が知らせてくれたのです。孫なら、あそこで何があったのかを示す写真を持っているのでは、と期待したのです。いったいどんな人物なのかという興味もありました。」
エルダド・ベック「これが家の門だね。収容所は?」
ライネル・ヘス「この外だ。」
エルダド「向こう側?」
エルダド「ああ。子どもたちは門を抜けて、司令官室に出入りしていたようだ。」
ライネル「この門だな。」
エルダド「ここに住んでいた?」
ライネル「ああ。」
エルダド「収容所をうかがわせるものは…どこにも写っていない。」
ライネル「のどかな家族写真だ。」
エルダド「焼却炉の影も形もない。」
ライネル「ここにあるおもちゃは、すべて囚人が作ったものなんだ。」
ライネル「私の父だ。」
エルダド「そう。」
エルダド・ベック「ライネルは、子どものころ、ヘスという名のせいで、アウシュビッツの見学に参加できなかったそうです。私は、自分も行ったことがないから、一緒に行こうと誘いました。」
「私の知る限り――父は祖父と同じような冷酷な性格だった。父のひざに座ろうと思ったことは一度もない。私たちが弱みや感情を見せることを厳しく禁じたんだ。泣くと、ひどく叩かれた。」
「父は、ナチスのイデオロギーを決して捨てようとはしませんでした。アウシュビッツの所長だった祖父と同じく、第三帝国の熱狂的な信奉者であり続けたのです。両親が離婚してから、父とは全く連絡を取っていません。最後に話をしたのは、1984年に娘が生まれたときです。今後も連絡を取りたいとは思いません。」
「エルダドは、ずっと書類を読んでいました。私は、音楽を聞こうとしましたが、集中できませんでした。アウシュビッツで出会う人たちのことで、とても不安でした。自分が、祖父にそっくりだからです。顔を見て、ヘスの孫だと分かってしまうのではないかと、怖くなりました。こういう名前を持っていない人には、理解できないかもしれません。ましてや、アウシュビッツと何のつながりもない人には、この気持ちはとても分からないと思います。午前1時半に、灯りを消しました。エルダドも熟睡できなかったようです。私は繰り返し写真を眺めていました。気持ちを落ち着かせることは、どうしてもできませんでした。繰り返し――あの忌まわしい門が目の前に現れました。心の中で私はこれを、地獄への門と呼んでいました。この写真に罪を問われているように思いました。この門を通して、彼らも地獄を目にしていたはずなのです。」
〔オシフィエンチム(ポーランド南部)〕
案内人「アウシュビッツは第1収容所で――ここの所長を務めたのが、ルドルフ・ヘスです。1942年に3キロ離れた村でビルケナウの建設が始まりました。そこが、アウシュビッツ第2強制収容所です。」
ライネル・ヘス「私の地獄だ。お互いの子孫にとって、ここは地獄なんだ。――驚いたな。」(註:ライネルは、写真で見た門のある家に足を踏み入れる。)
案内人「この家は公開していません。」
ライネル「えっ?――門だ。写真のままだ。」
「ここだ。」
「ヘスが(写真の中で)こうしていた。そっくりだ。」
「すごいね。」
「恐ろしいよ。ここで子どもを次々と殺害していたのに。家族を連れてきて、自分の子供をここで育てていた。そして、ごく当たり前の生活をさせていた。」
「ぞっとするよ。」
「この家を建てた年だ。」
案内人「小さな庭があります。全部見渡せますよ。温室は閉鎖しました。あそこに収容所の壁が見えます。もとからあった壁です。」
ライネル「こんなにガス室の近くに住んでいたんだ。」
ライネル「これが司令官室?」
案内人「そう。見えないようになっています。煙突がね。焼却場も、2つのガス室も囚人も見えません。特殊な窓ガラスです。」
「君のお父さんは、臭いや煙と一緒に育ったんだ。」
ライネル「イチゴを摘んでくると、祖母が言ったそうだよ。よく洗うようにと。」
ライネル「つらい。正気じゃない。すべて他人の犠牲の上に成り立っていたんだ。それなのに、そんなことは絶対になかったと言い張っていた。自分たちは善良だったと。どうかしてる。」
(註:イスラエルの国旗を掲げた学生の見学者が訪れていた。ライネルもそこへ合流する。)
(註:生徒たちの前で、先生が語りかける。)
先生「今日は、収容所所長ルドルフ・ヘスの孫、ライネル・ヘスが来ています。私たちとの対話を呼びかけました。私も初めて会ったばかりですが…。」
生徒「なぜ来たんですか?」
ライネル・ヘス「なぜ来たか…。祖父が作り出した恐怖を見るため。そしてウソの真実を確かめるため。」
生徒「ウソとは?」
ライネル「私の家族のウソです。子供のころ祖母に会って――。何度か、この名前の意味を尋ねました。でも答えを得られず、家族の中で語られないことがたくさんありました。」
生徒「あなたの祖父のしたことに、罪の意識は?責任を感じますか?」
ライネル「罪の意識を感じます。」
生徒「あなたの祖父は、人を拷問し、殺害し…(泣き出す)。私の家族を虐殺しました。私たちの前に立つのが怖くないのですか?」
ライネル「私は会えてうれしいです。そして、申し訳なく思っています。」
先生「あなたの祖父に会えたら、どうしますか?」
ライネル「私がどうするか聞きたいですか?――この手で殺したい。」(註:場から哄笑が起こる)
先生「ホロコーストの生存者のツヴィカさんが、あなたと握手できるかと聞いています。」
(註:年配の男性、ツヴィカは、会場の後ろ側から歩いて、ライネルのそばまで近づいてきた。)
ツヴィカ「私はここにいたんだよ。
(註:生徒たちから拍手が起きる)
…ずっと以前から私は、ドイツの若者たちに話をしてきた。
『君たちはそこにいなかった。君たちがやったわけではない』と。」
「アウシュビッツの生存者が――一歩、また一歩と近づいてきました。…怖かった。うろたえました。そして――胸がいっぱいになりました。私の背後で父が、泣くんじゃないと、叱っているように感じました。感情を見せるんじゃない。その瞬間究極の衝撃が、私を打ちのめしました。アウシュビッツの生存者が目の前に立って、私の手を取って…こう言ったんです。君たちは、罪悪感を持たなくていい。胸が詰まりました。もう、だめでした。こらえきれなくなってしまいました。頭が真っ白になって、もう、何が何だか、わからなくなりました。そして、恐怖や恥ずかしさとは違う感情が、湧き上がってきました。幸福と、心からの喜びを感じました。あれほど恐ろしい体験をして生き延びた人に、君ではない、君がやったのではないと、言ってもらえたんです。」
ライネル「ありがとう。ここから変えていきたいね。」(通り過ぎる学生たちと握手をかわす)
「会えてよかった。」
(ブローチを貰うライネル)
ライネル「あなたの手作り?」(エルダドは、その光景を見つめている。)
エルダド・ベック「――ライネルに会えたことで、生徒たちの心は和んだかもしれません。ライネルの姿を見て、話を聞いて、彼らのなかでわだかまっていた物が、少しだけ解決したのでしょう。本来なら不十分ですが、彼らにはささやかな安らぎでした。」(ブローチをライネルに渡した生徒たち二人が、先生に肩を抱かれてアウシュビッツから歩いていく。)
(無言でライネルの肩を2回とんとん、とたたくエルダド。)
「罪の意識をどう説明すればいいのか。たとえ私に、罪の意識を抱く理由は何もなくても、その意識を捨て去ることはできません。もちろん、私の家族、祖父が、何千という他の家族にしたことについて恥じてもいます。自分に問いかけるんです。あの人たちは、死ななければならなかったのに私は生きている。なぜなんだ。この罪の意識を背負って苦しむためなのかと。それが私の存在する唯一の理由のようにも思います。祖父がしなかったことを代わりにやる。償いではなく、祖父がすべきだったことを私がやる。どう言ったらいいんだろうか…。」
エルダド・ベック(ジャーナリスト/ホロコースト生存者の孫)「思うに、私たちユダヤ人は、戦後の破壊のプロセスを、寛容にも、受け入れてきたんです。そうする必要があったからです。ホロコーストは想像を絶するほど、恐ろしく…今日でも、私たち一人ひとりを脅かしているという事実があります。ホロコーストは世界から姿を消したわけではありません。私たちはみんな、この物語にハッピーエンドを見つけたいのです。あの生徒たちは、収容所長の孫と話をし、謝罪を受け入れて、繋がりを見出そうとしました。そうすることで、この先の人生を生きていけるのです。彼らはライネルに会って――ハッピーエンドでした。しかしこれは数少ない例です。たいていの場合、結末はありません。ホロコーストに終わりはないのです。」