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考えてみれば、
ギアナ高地のエンジェル・フォール、カラコルムのグレート・トランゴ・タワーやトランゴ・ネイムレス・タワー、
カナダバフィン島北極圏のウォーカー・シタデルなど辺境の岩壁登攀を対象としたビッグ・ウォール・クライミングはみな面白かった。
これらの岩壁は確かに僕の登攀意欲を奮い立たせてくれた。
悪条件を従えた、一見訳のわからない登れそうにない岩壁を攀じ登るという行為には大きな夢がある。
これが登れる岩壁か、それとも登れない岩壁かなんてことは端から考えない。
そんなものは一目見れば分かることだ。登れない岩壁なら最初から登りに行きやしない。
どうやればこの岩壁を登るのに値するラインを攀じ登ることができるのか――。
考えるのはただそれだけだ。
雪が舞い、氷雪に覆われた岩壁で、敗退するのか、あるいはランナウトを交えたフリークライミングで突破するのか、
決断を余儀なくされた西チベットの未踏峰ギャンゾンカンの岩壁登攀にしたってそうだ。
それが登れる壁だってことは最初から、写真を見て、「木本どうだ、登れるか?」と尋ねられたときから分かっていた。
でも、いろんな条件がそれを阻む。
二パーティーに分かれてルート開拓をし、頂上に迫る。
若手を第一に登らせるために頂上攻撃は二次隊となったが、天気が崩れ、生憎の雪だ。
もちろんこの地点から引き返すことは可能だ。
そうすればけがをする心配もなく安全に無事登山を終えることができる。
そうすれば山から生きて還ることができるのである。
でも、もしそういう選択をすれば、
せっかくここまでルートを切り拓いてきた未踏の岩壁の未踏の頂に立つという当初の目的は諦めねばならない。
せっかく苦労して切り拓いた自分のルートも、自分自身で頂に立たねば何の意味もない。
しかし、それは技術が未熟なものを危険の中へと引きずり込むことでもある。
万が一何か事が起きた場合は彼らを道連れにするということなのである。
もし、状況が悪い方へ転がったときはとんでもないことになる。
6000メートル峰での遭難と救助がどんなに大変なものかは誰よりもよく知っているのだ。
だが、そんな浮世の迷いを振り切って、自分の希望も鑑みて冷静に判断し、
雪でべちゃべちゃになったワイドクラックをリードして登るのは見かけのグレード以上にとても悪い登攀だった。
しかし、だからこそ自分にとっては忘れがたい価値ある登攀になっていくのである。
*
グリーンランド北極圏ミルネ島の未踏峰(オルカ)の登攀は、
想定ルートを聞かされた段階から、
今回の登攀の核心はヘッドウォール下部岩壁の登攀がどの程度の難易度になるのかとういう点に絞られていた。
岩壁の写真から読み取れるルートの概況と地形図の情報から浮かびあがる岩壁の形状を照合しながらこの岩壁の難易度を考えると、
下部岩壁や頂上稜線はもとより、想定ルートである氷雪壁の傾斜は緩く、
この壁が登りやすいものであることを示している。
もちろん岩壁の写真そのものから受ける威圧感はほとんどないと言ってもいいくらい小さなものだ。
想定ルート中で問題となりそうなヘッドウォール下部岩壁の標高差はどう多く見積もっても最大400メートルほどしかない。
未踏の岩壁の写真を前に聞かされた想定ルートを目で忠実にたどりながら、
上記の状況を織り込みつつ展開されるであろう登攀の内容を考えていくと、
核心部の前後は傾斜が緩く、始めから何の問題も起こりそうにない。
岩壁の標高差が1200メートルだろうと1300メートルだろうと岩壁の傾斜を考えると、
実質的には400メートルほどの岩壁を登るのとあまり大差はない。
だからこの岩壁の登攀が失敗する理由は何一つなく、登頂成功は疑うべくもない。
実際、現地に出かけてこの岩壁を目の当たりにすると実物は想像以上に小さくその思いは強まった。
幸いなことに気象条件は想像以上によく、心配していた天気の崩れそのものがたった一度しかなかった。
辺境のビッグ・ウォール・クライミングはいつもと違って余裕はあれど困難は感じられない状態だったのである。
実のところ、困難はこの未踏の岩壁にではなく、出発直前に二箇所の骨折と筋挫傷を負ったこの体の内にあった。
あまりの登攀条件のよさはあたかもヨセミテのような
精神的にも肉体的にも安定した状態で挑める場所でビッグ・ウォール・クライミングの訓練をやっているかのような錯覚を起こす。
でも、ビッグ・ウォール・クライミングの訓練ならきっともっと傾斜の強いラインを選ぶことだろう。
そういう意味では同じ北極圏の岩登りでも「白夜の大岩壁」より「極北の大岩壁」の方がはるかに難しく、
それだけにまたはるかに面白い登攀であった。
こうした数々の登山を振り返ると、自分の興味が未だに経験したことがない困難を伴う登攀に向けられているのだと認識させられる。
Alpine Climbing
ビッグ・ウォール・クライミングではないけれど、
標高差2500mもある、岩壁登攀(5.7)を交えた氷雪壁をたどるマッキンリー南壁のアルパインクライミングは、
登攀時期が早かったせいもあるのかもしれないが、
この年は例年より寒気が厳しく、冬季登攀時の記録を凌ぐ−40℃以下という異常な寒気の中、
嵐も訪れた極限の環境の中で展開したアルパインスタイルの登攀であった。
異常な寒気のために一般ルート(ノーマルルート)から誰一人頂上に立つことができずにいた間に、
着々と氷壁や岩壁にルートを切り拓きながら南壁を登っていた僕たちが登頂したのは、
一般ルートから登ってきた登山者がこのシーズン初めて一般ルートから登頂した翌日のことであった。
こうしたさまざまなクライミングを支えてきたのはもちろんフリークライミングとエイドクライミングとアイスクライミングの確かな技術である。
それとともに欠かせないのが精神力である。登りたいと思う気持ち、登ろうという強い気持ちがなくなったらもう決して登れやしない。
これらの登攀に使ったギアは今から考えればとても古めかしい代物だ。
それでもマッキンリー南壁の岩壁登攀部分はカムとナッツを使って登っているのだ。
しかし、道具はともかく、アルパインクライマーとして心の内に備わっていた気持ちは昔も今も何一つ変わらない。
こればかりは未来永劫変わらないだろう。
Attempt
壁は難しくなければ挑戦のし甲斐がない。難しくなければ面白みがない。
壁の困難さこそがモチベーションを形成する。しかし、精神的な弱さはそのモチベーションを奪い去る。
だが、一生懸命登った見返りは、たとえその登攀が失敗に帰したとしても大きなものである。
立ちはだかる壁を超えるのが困難だからこそ真摯な技術と経験が培われ、知恵が養われる。
そこに「
Alpine Climber
登攀を中心としたさまざまな登山を行っているせいか登山家と言われることに違和感を覚えることが多い。
アルピニストという言葉はもともとごつごつした岩山を登る人を指すらしいが、
日本国内では登山家と同じでどうも軽い響きが漂い、エベレストのような雪山を登る人を含んでしまう。
だからそんな言葉で自分を表現するのはやはりそぐわない気がする。
僕は頂に立つことではなく、壁を攀じ登ることが好きなのだ。
しかし、そうはいいながらもエベレストやチョー・オユー、マナスルやダウラギリなどのヒマラヤの八千メートル峰にも挑んでいる。
これらのノーマルルートやノーマルルートに準じるルートではほとんど歩くだけで山頂に達することができる。
一方、こうした山のバリエーションルートは雪と氷と岩の長大なミックス壁だ。
これらの山の登山の成否を決めるのはほとんどの場合気象条件だ。
その気象条件は文明の利器を使う金さえあれば簡単に手に入れることができる時代になった。
今や山の安全の一部が金で買えるようになったのだ。
山登りには登山と登攀の二通りの登り方がある。
これらは本質的に登山者に必要とされる技術、つまり身につけなければならない技術に格段の差がある。
七大陸最高峰はいずれも登山で登ることができる山だ。
Last Climbing for TV
グリーンランド未踏峰の登攀はこれまでに経験した他のビッグ・ウォール・クライミングと比べると、
緊張感を醸し出す要素が少なく、また緊張を持続させる時間が短く、物足りなさを感じた。
しかし、実のところ、二箇所の骨折と想像以上に重症だった筋挫傷のせいで痛み止めの薬が手放せない薬漬けの毎日であった。
だから、今になって思えばこの程度の登攀ルートでちょうどよかったのだろうと思う。
でも、そんな体調でも登れてしまう登攀ルートでしかなかったというのはちょっと悲しい現実だ。
そんな体調でも見知らぬ場所に出かけて行って登ってこようとする自分のモチベーションは いったいどうなっているのだろうと疑問に思うが、
未知の岩壁への強い憧れが基となっているのは言うまでもない。
実際、これまでに経験したことがない場所や条件下で困難な登攀をしたいという気持ちは誰よりも強い。
できればもう少し登り甲斐のある攻撃的な登攀ルートを登りたかったなと思うのは、
もちろんそんな感覚とこれまでの登攀経験から生じる 僕の素直な気持ちだ。
山はこれでいいとしても、今回の当初の登攀ラインは僕の性格からするとちょっと考えられないラインであった。
僕だったら同じ山でも彼とはまったく違った登攀ラインを想定していただろう。
それが分かるだけに、逆にほかの人の考え方を通して自分の考え方がよく分かって面白かった面もある。
計画されていた登攀ラインを一部修正し、
ヘッドウォール下部を登攀後は頂上稜線をたどることにしたので、
当初の計画よりクライミングそのものをだいぶ楽しめるルートになった。
結果、映像的にも、登攀の展開的にも、番組の話の作りを考える上でもとてもよくなった。
この登攀は、NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」<NHK総合>として結実し、放送された。
NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」はNHKオンデマンドを利用して視聴することができる。
また、ハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」<NHKBShi>としても結実し、こちらも放送された。
こちらはDVDで見ることが可能だ。
出演者 山野井泰史、山野井妙子、木本哲(山岳ガイド)――番組紹介欄にはそうあった。
この意図にはNHKスペシャルの表題の通り夫婦二人だけの登攀という点を際立たせる狙いがあったのだろうが、
もし僕が徹底して山岳ガイドとしての行動を取っていたとしたらおそらく登頂には結びつかなかったろう。
実のところ、ガイドとアルパインクライマーとはまったく違った存在だ。
ガイドだからすべてのルートを攀じ登ることができるというわけではないし、
すべてのルートを攀じ登らねばならないというわけではない。
それは「極北の大岩壁」を見れば明らかだろう。
すべてのルートを登ることができるようになるにはガイドである前にまずすぐれたアルパインクライマーでなければならない。
そしてガイドならクライアントが先に進むのを諦めたときは引き返すことも考えねばならない。
何はともあれ登山は、特に肉体的にも精神的にも厳しさが要求される登攀はいろんなことが起きるから面白い。
時には悲しい思いをすることもあるけれど、そうしたことをも含めた登攀の面白さは傍観者では決して味わうことができないものだ。
結果がよくも悪くも、こうした機微は、登山の、あるいは登攀の当事者でなければ決して味わうことができないものなのである。
そんな自分が見た、感じたありのままの記録もこのHPでは当然作成しているが、
それらは一般公開する必要などまったくないものなので公開はしていない。
ちなみにその一部だが、けっこうな量を公開していた時期のオルカ初登攀の記事に対する反応にはネット上に面白い記事がたくさんあった。
それらの記事を読んでいたら、日本のアルパインクライミングの底辺というか現状は案外お粗末なものなんだなと思い知らされた。
一般の人やフリークライマーならまだしも、アルパインクライマーなら、映像や写真も文章同様行間を読むことが大切だろう。
僕は昔からそういう訓練がされているというか、間違いなく登るためにはそういう力が必要だということがわかっているせいか、
僕が情報を得るときは自然にそういう見方をしているので、一つの映像や一枚の写真から多くの情報を得ることができる気がする。
与えられた情報を妄信することは傍観者のモチベーションを高めるのかもしれないが、
状況によってはそれが技術の発展を妨げ、自分自信の命を削ることにもなる。
そうなることが分かっているだけに僕にはそうできない事情がある。
だいぶひねくれた考え方をしているが、
きっとどんな状況下でも生き抜くためにしだいにひねくれた考え方をするようになったのだろう。
僕はフリークライマーではないからなあ。
Writer
今、山岳雑誌「岳人」に『しぶとい山ヤになるために』を連載している。
これは、僕が初めて山登りをしたときから書き起こして冬季登山や冬季登攀を経験する山学同志会在籍一年目までの四年半の期間、
山行日数にしておよそ200日あまりにわたって行った登山や登攀の中から選びだしたさまざまな山行経験を描いたものだ。
これらは「僕の新人時代」というべき時代の山行の数々だが、この連載は少なくとも今年いっぱい、
2007年1月号から2009年12月号まで連載する予定だ。
昔はよく原稿を書いていたものだが 、このところとんとごぶさたしていた。
ところが、一本の電話から久しぶりに原稿を書くことになった。
それも予期していなかった連載である。
ところが、一年で止めたいと思っていたのに三年もの長期連載をするはめになってしまった。
一年目ならやめることができたのだが、二年目では話が途中で終わってしまうことになってしまうから、
途中でやめるわけにはいかなくなり、連載を続けるしかなくなったのだ。
実際のところ、原稿を書くのは大変だが、嫌いではない。むしろ好きだ。
遅筆に問題はあるというが、とりあえずまだ損じたことはない。
そうなんでしょ? とワニ目編集者に言われたが、確かにその通りだ。
この連載、
その昔、岳人とは違うやまの雑誌でワニ目編集者に鍛えられた山岳ライターとしての一面がうまく出てくれればいいのだがな、と思っている。
さて、結果は? 果たしてどうだろう。
それを評価するのは僕ではなく読者だから何ともいえない。
山岳雑誌「岳人」を手に取る機会があれば、ぜひ『しぶとい山ヤになるために』を読んでみてください。
本当は読後の感想を聞かせてくれるといちばんいいのですが――。
連載終了後は書き直すべきところは書き直し、必要なところは書き加えて単行本として出版したいと考えている。
最初はこの見開き二ページでどのくらいの分量が書けるものなのか訳も分からず、
編集者の言うままの分量を書いていて提出していたのだが、しだいにそれでは収まらない場合もでてくるようになり、
だんだん文章が長くなっていった。
最初は遠慮しいしい書いていたところもあるから、連載が終わったらゆっくり見直してみようと思う。
ところで、こうやって三年もの間書いてみると、この『しぶとい山ヤになるために』という文章は、
しぶとい山ヤになるどころか、ハラハラドキドキの山行ばかりではないか。
この連載、しぶとい山ヤになるために書いているのではなくて、
むしろ、単にこのひねくれた孤高のアルパインクライマー木本哲のクライマーとしての生い立ちを描いているだけのような気がする。
まあ、でも、僕はこうやって登山を行い、登攀を行いながら育ってきたのだ。
でも意外に行動はハチャメチャだ。
果たしてこんなんでしぶとい山ヤになれるのかい?
たぶん僕のまねはしない方がいいと思うのだけど……。
でも、基本的には登山や登攀をするには体力と技術が必要だということがよく分かる連載になっていると思う。
登山や登攀はいつでもどこでも危険と遭遇する可能性が高いからそれほど甘いものではないのだ。
体力や技術はすぐにつくものではないからやはり日々の努力が必要になる。
こんな文章を書いた僕は、こんな文章を読まされている読者がかわいそうな気もするけど、
僕が読めといったわけではないし、もちろんこの文書を読んだのは自分からだろうし、
僕が読むのを止めなさいと言ってもはや手遅れだろうから、
この文章を毎回楽しみに読んでいる人には最後まで付き合ってもらうしかないな。
でも、何だか生意気な人間に思える木本哲っていったいどんなヤツなんだと疑問を持っている人には一読の価値がある連載かもしれない。
果たしてこんな文章で真摯な登攀を目指している人に何らかのヒントを与えることができるのだろうかという疑問はあるけど、まあ、しようがないだろう。
あと半年我慢してお付き合いください。
この文章が表しているのは僕の新人時代だけだから、
その後、こいつはどんなことをやったんだ? とお思いの方は自己紹介の欄をクリックすればその一部を 見ることができます。
でもこれは国内、海外ともども、初登攀から第三登くらいまでの登山記録や登攀記録を中心にまとめたものです。
山学同志会在籍二年目からは糸が切れた凧ようにさまざまな場所のさまざまなルートを登りに行った。
こいつの行動をもう少し詳しく知りたいという方はSatoshi Kimoto's Worldをご覧 になるといいと思う。
海外で行った登山や登攀の一部がわかる内容になっている。
山学同志会在籍一年目は先輩に連れて行ってもらった山行が大部分だったが、
山学同志会在籍二年目以降の山行はたいがい同期の仲間と登りに行ったか、後輩を連れて登りに行ったものだ。
特に三年目以降は後輩やその年の新人を連れて登りに行ったものが多くなっている。
Alpine Guide
ちなみに僕はこんな育ち方、登り方をしてきた人間ですから、山は低山藪山から高山のバリエーションルートまで、
僕が登ることができる登山コースや登攀ルートならどんなところでもガイドをします。
が、僕のガイド山行は技術講習以外は少人数で行うことを旨としています。
万が一何か事が起きれば、死ぬのは自分自身とガイドを頼んだクライアント自身なのですから、
僕が抱え込む危険も、クライアントが抱え込む危険も、できるだけ小さい方がいいと思っているからです。
さらに付け加えるならどこでも連れていけるのは何度か一緒に登ったことがある人だけです。
どんなときにどんな行動をするのか、どんな行動ができるのか、それがわからなければ僕が抱える危険が大きすぎます。
あしからず。
This Homepage
基本的にはこのHPの文章は文章を書くための練習や自身の備忘録として書き溜めているもので公開を目的としたものではありません。
したがって公開していない記事がたくさんあります。
もちろん一度は公開したものの公開をやめてしまった記事もたくさんあります。
また、サーバーの容量の関係で適宜削除したり状況によっては再登場させたりしているので 目的の文章がいつもアップされているとはかぎりません。
むしろ、それによって消失したものがたくさんあります。
実際、何も作成したすべてのものを一般公開する必要などまったくないので非公開にしてしまったページもたくさんあるのです。
また、これらの文章は一度は書いてみたものの気に入らず頻繁に書き換えることがあります。 木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
それは書いてはみたもののあるとき設定や表現が間違ってるなと気づいたり思ったりすることがたくさんあるからです。
もちろんこれはほかの人に読ませるために書いているわけではないのでそれでいいとは思っているのですが、
このHPから何かを引用した人はその文章には気を配った方がいいと思います。
もちろん、それらのページやそのほかのさまざまなページにも文章を書き始めた当初やその後に設定したリンクが存在するため、
文章が削除されている場合にはクリックしても「Not Found」が出てくることになります。
見てる方も引用している方も使いにく いHPだとは思いますが、これはぼくのHPなので僕がそこまで責任を持つことはできません。
不快を託つ場合は直ちにこのHPから離れ、他の人のHPをご覧ください。
当てのない記事を探し歩くよりこのHPから離れる方が精神的にはよほど健全です。
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています。「目次」を参照してください
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと
自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……山学同志会在籍二年目から海外のさまざまな山や岩壁を登りに出かけた
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