Explorer Spirit 学術研究 河口慧海・チベットへの道 河口慧海研究プロジェクト 河口慧海の日記 海外の山 木本哲の世界
木本哲のホームページ“Explorer Spirit”へようこそ / Welcome to Kimoto Satoshi's website “Explorer Spirit”
河口慧海・チベットへの道
Kawaguchi Ekai ・ A path to Tibet 7
“Explorer Spirit” Kimoto Satoshi Alpine Climbing School
木本哲アルパインクライミングスクール|無雪期|積雪期|企画ガイド|個人ガイド|海外プラン|机上講習
募集案内と参加お申し込み注意事項 ガイド山行のお問い合わせとお申し込み メール contact
トップページ top page 目次 content ワールドマップ world map ウェブサイトご利用上の注意 cautions on use
ガイドプラン 木本哲 プロフィール profile アルパインクライマーが描く夢 巻頭エッセイ 読み物 readings リンク links
外国人未開放地区
チベット側のポイントの一つである放牧地「ネーユ」は、さまざまな人に聞いてもなかなか手がかりを得ることができなかった。ところが、BCからパチュムハムのABCに移動するとき、出発が遅くなり、わずか二時間進んだところで昼飯の時間になった。出発が遅くなったので先を急ぎたいところだが、地元の人間のペースに合わせ、彼らが昼飯をつくって食べ終わるまでの間、こっちものんびり弁当を食べて昼寝でもして時を過ごすことにした。実は、彼らの昼食は近くの潅木帯でマキを拾い集めて火を熾し、煮炊きをするので、昼飯を作り始めて食べ終わるまでに最低でも小一時間はかかるのだ。昼飯が炊き上がるまではさすがに暇なのでいつものように隊長はこの場所の名前や山の名前などさまざまなことを質問する。僕たちが雇ったガイド兼キッチンボーイの男にこの場所の地名を質問したところ、ここがネーユという地名を持つ場所であることがわかったのである。
BCからわずか二時間あまりのところにある草原。それがネーユという放牧地で、ルンチュンカモ・チューという川の下流すことにした域に広がる見渡す限りの広大な草原を指すことがわかった。ここチャンタンでは草原が放牧地の役割を担い、対岸まで広がる広大な面積のそれぞれの草原に固有の名前がついているのだ。チベットのブルーポピーは背丈が短いものが多い。風がつよいからなのか、乾燥が激しいからか、種類がちがうのか、詳細はわからない。
ネーユが特定されたことで残る問題はあと一つ。河口慧海が白巌窟と表現するゴンパ(寺)の特定だけになった。ゴンパはネパールやチベットに暮らす不特定多数の人が訪れる場所であるから、誰かが定住していないことには成り立たない。そこがどんな場所を指すのかあれこれ考えたところでどうしようもないので、慧海が「チベット旅行記」の中で表している目的地までの日数の表記から国境付近の地図を読み解くことでこの問題に対応することにした。
この解析方法は卑弥呼がいた邪馬台国がどこにあるかという問題を解くのと同じである。解釈の違いによって人それぞれ目的地(白巌窟)の存在位置が違うのはもちろん当たり前の話で、しょうがないことである。しかし、「チベット旅行記」の中の表記とこれまでに行った国内および海外の自分の登山経験、それに現地での体験を考慮した行程表の解析の結果、慧海がいう「白巌窟」はどう考えてもゴシャル・ゴンパ以外に考えられないことがわかってきたのだ。そして、この考え方を補強したのは現地調査の結果から得た、慧海が「白巌窟」と表現をしたゴンパを指すと思われる文字そのものである。
僕が白巌窟と考えるゴシャル・ゴンパは、その昔、文化大革命のときに破壊され、現在建っているのはその後再建されたものである。しかし、ここゴシャル・ゴンパには代々使われてきた瞑想ルームともいうべき小さな岩屋がある。実はこの瞑想ルームを持つ岩屋は赤みを帯びた石灰岩の岩山の一角に作られており、この岩山は周囲の褐色の強い景色の中では白く浮かび上がって見えるのである。建て増ししたお堂の白い漆喰塗りの壁に比べれば土色の岩に見えるが、そんなお堂をすべて取っ払ってみれば、その岩屋はまさに「白巌窟」と呼ぶにふさわしい光景に見えることだろう。慧海の茶目っ気ならずともこれを一目見て命名するならおそらく誰もが白巌窟と名づけるに違いない。
これらの調査結果を踏まえ、シェー・ゴンパ、ネーユ、ゴシャル・ゴンパというあらかじめ問題提起していた三つのポイントを繋ぐと、河口慧海が越えた峠は、どう考えてもクン・ラかあるいはルンチュンカモ・ラかの二つしか考えられない。イナン・ラとしてもかまわないが、それでは僧侶が定住すると思われるゴシャル・ゴンパやセルチン・ゴンパへ達する時間の関係から、ゴンパがあるべき位置が合わなくなる。その結果から逆に考えると、どうやら慧海が越境した峠はクン・ラか、そのすぐ隣のルンチュンカモ・ラが一番臭いということになる。
しかし、地形図をじっくり見ていると、シェー・ゴンパにいくにはクン・ラよりルンチュンカモ・ラを採用した方が、距離的にも、時間的にも、対外的にも有利に思えてくるのであった。自分の越境峠説がこれまでの越境峠説と同じではつまらないので、この段階で、僕は自分の越境峠説としてルンチュンカモ・ラ越境説を採用することにした。それは河口慧海がもし自分ひとりの力でヒマラヤの峠を越えてカイラスに向かうのだとしたら、そこを抜けて行くのが最も理に適った道だと思ったからである。
写真 放牧地ネーユで食事をとる現地ガイドや馬方たち。急がば回れ。郷に入れば郷に従え。そんな思いがネーユを見いだした。
Explorer Spirit 木本哲
Copyright ©2005