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河口慧海・チベットへの道

Kawaguchi Ekai ・ A path to Tibet 

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「チベット旅行記」解釈上のネパール側の問題点で真っ先に解決しなければならないのは、「遥かなるチベット」が唱えている「セーの霊場には行かなかったとする説」が果たして正しいのかどうかということである。この一点の解釈の違いで河口慧海が越境した峠の位置は大きく変わってしまうことになることは誰の目にも明らかであろう。幸いにも、僕はこれまで河口慧海の越境峠説について一度も考えてみたことがなく、先入観は何一つない。だから、どの越境峠説にも組することなく、自分自身の体で経験し、自分自身の目で見、自分自身の頭で考えた越境峠説を唱えることができる立場にあった。

さて、「セーの霊場」問題は、この周辺の地理を理解し、「チベット旅行記」の内容を素直に解釈すると、僕にはそれほど問題はないように思えるのだが、現実はそうではないらしい。混乱の元の一つになっているトルボとツァルカの解釈の問題については、地形図どおりトルボは地域の名前、ツァルカは村の名前ということですんなり片がつく。本の中では確かに紛らわしい表記になっているが、本が伝えるニュアンスから察すると、何となくそうなのだろうと思える。おそらくこの解釈に誰も異論はないだろう。

旧ツァルカ村。生活臭のないところはほとんど砂漠や土漠のようなところだから村々の付近にのみ繁茂する緑がまぶしい。典型的な砂漠地域の光景だ。この辺りの村は、川喜田隊が調査に入った50年前の区画とほとんど変わっていないのだという。その昔は隔絶した世界だったが、通行が容易なチベットから国境を越えて物資が入るようになり、変わりつつある。

 

次に、果たして慧海はセーの霊場に行ったのかどうかという点だが、慧海は慧海がマルパでお世話になったアダム・ナリンにはっきりセーの霊場に行くと言っているうえ、「チベット旅行記」にはご丁寧にも二度もそう書いているので、素直に考えれば、慧海自身の口述筆記の内容と慧海自身の行動については何ら疑う余地はないように思える。どう考えても慧海は確かにセーの霊場へ行ったと考えるのが本筋であろう。

ところが河口慧海の足跡を追った根深誠著「遥かなるチベット」は、そう言う慧海の言葉を振り切って「セーの霊場には行っていない」と解釈しているのである。チベット旅行記を読みながらそう思わせる根拠となる記述があるかどうかを探したが、残念ながら見つけることができなかったので、僕は河口慧海は「チベット旅行記」の記述通り、セーの霊場へ行ったものと捉えた。

「遥かなるチベット」(1994年山と渓谷社刊)の巻末対談で河口慧海の日記を見たことがあると言っている川喜田二郎は、1967年発行の「ネパール・ヒマラヤ探検記録」の中で、河口慧海のヒマラヤ越えについて触れ、河口慧海は「セーの霊場に行った」と解釈しているので、根深誠の解釈は確かに目新しいものであった。しかしながら、この解釈がどこから思いついたのか「遥かなるチベット」中では触れられていないので、検証のしようがない。僕は「チベット旅行記」を何度もつぶさに読んでみたが、僕には川喜田二郎の説には賛同できても根深誠の考え方を素直に受け入れる根拠となる文章を見つけることはできなかった。僕が根深誠の考え方に反論する限りはその根拠を明示しなければならないが、そう考える理由は簡単に書けば次のようになる。

慧海は大乗仏教を信奉する仏教者であるから自分のために相手を犠牲にするようなことはしない人である。また、自分を信じている者に嘘をつくような人だとはとても思えない。「チベット旅行記」を最後まで読んでみた話の展開の上からもそう思う。「チベット旅行記」全体を通して考えると、「セーの霊場へ行く」という宣言はまず嘘ではないだろうと思われるのだ。実際、「チベット旅行記」に二度もそう書き、お世話になったアダム・ナリンにもはっきりそう伝えている以上、河口慧海は「セーの霊場」を目指して出かけて行ったと考えるのが正しい筋書きように思われる。

河口慧海・チベットへの道1011   河口慧海研究プロジェクト

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