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河口慧海・チベットへの道

Kawaguchi Ekai ・ A path to Tibet  

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チベットから帰国後、日本山岳会関西支部から登山報告書作成のためにパチュムハム登山に関する原稿と短いエッセイを書くことが割り当てられた。僕は割り当てられたそれらの課題を仕上げると、今度は山岳雑誌「山と渓谷」用に書くつもりだったが、この地域のことを書く人がほかにいるということで没となっていた原稿を新たな気持ちで書き始めることにした。河口慧海がどんな行動をとってチベットに入ったのかとても興味があったし、河口慧海の「チベット旅行記」を自らの体験と解釈によって読み解いたことを大西保という越境調査を重ねた人間の行動を通して小説風に書けたらいいなと考えていたからである。

もちろんこの地域で行った二つの登山、すなわち今回(2004年)の登山と登山活動の一部がNHKスペシャルとして映像にもなった前回(1998年)の登山のこと、それにこの地域の解明に携わった多くの人たちのことも含めて心の底から登山記録を書きたいという気持ちが起こってきたのである。そこで、これまでの7回にわたる度重なる国境地域の登山の推移と自分が参加したこれら二つの山行を通して得た知見を基にして、純粋に河口慧海のヒマラヤ越えの行動について一から考えてみることにした。そして河口慧海の行動を縦糸にこの地域の解明にあたった大西保と彼をを中心とする仲間たちの行動を横糸にして一つ一つ原稿用紙の桝目を埋めていくことにしたのである。

解析の準備

当初は、河口慧海の越境峠説の取捨選択と自分自身の見解の構築に関しては、「チベット旅行記」を自分なりに解釈し、自分自身の登山経験というフィルタを通して、河口慧海が越境した峠がどこなのか考えてみるのも面白いかもしれないという程度の意識で始めたのだが、解明を目標に「チベット旅行記」を読み返してみると、解明にはいくつかのポイントがあることがわかってきた。もちろん自分なりの越境峠説が構築できればそれにこしたことはないが、多くを望んでいるわけではない。ただただ百年も前にヒマラヤの峠を越えようと思った人間の真の姿が知りたいという思いに突き動かされ、慧海の行動を紐解き始めたのである。

イナン・ツォ

イナン・ツォは広大過ぎて池というより湖の様相を呈している。湖周辺の草原はもちろん放牧地である。真ん中の谷の奥にイナン・ラがある。 今どきの放牧はトラックをフルに使う。遊牧民の定住化政策の一環だ。

河口慧海の越境前後の足跡を探るため、今度は得意な体ではなく、にがてな頭を使わねばならない。長年にわたる高所登山における低酸素の影響でかなりの数の脳細胞が死んで、頭の中はすかすかで空洞だらけなのではないかと思われるほどだが、ハングアップを防ぐため、ときどきオーバーヒートする頭をなだめながら、少しずつ考えを進めていくことにする。まずは今回を含めた過去の越境峠説を一度すべて頭から取り除き、色眼鏡で思考が左右されないように、まったく白紙の状態から考え始めることにした。

 

西チベット出発前の事前調査の結果、河口慧海の足取りを追うポイントは三つあることがわかっていた。次の三つである。慧海は果たして「セーの霊場(シェー・ゴンパ)」に行ったのか。ネパール側から峠を越えてチベット側に抜け、慧海が初めて泊まった放牧地「ネーユ」とはいったいどこを指しているのか。慧海が「白巌窟」と呼ぶチャンタン随一の賢者が住まうゴンパとはいったいどこのゴンパを指しているのか。この三つの問題を解決すれば慧海が越境した峠は自ずと見えてくるはずである、と登山隊同様僕もそう考えていた。

クン・ラ(峠)から見るチベット側の眺め。クン・ツォ(慧海池と仁広池)が見える。奥で輝いているのは広大な塩湖ツォ・ルワ。最奥の山並みはトランスヒマラヤである。ネパール・チベット国境の通過点となる峠そのものは近づくとなだらかな丘になっていて幅がある。どうやらこの辺りは氷河地形のようだ。チャンタンの大地にはあちこちに水路や水溜りの跡があるので、雨季には日差しさえあれば光が水面に反射してきらきら輝いて見えることだろう。また、遠くに見えるトランスヒマラヤの山々には雪がつくのかもしれない。僕たちが訪ねたのは秋口で、どちらかといえば乾季なので渇水し、そういった光景は見られなかった。 写真=大西保

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