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河口慧海・チベットへの道
Kawaguchi Ekai ・ A path to Tibet 8
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編集
このああたりまで原稿を書き進んだところで河口慧海の日記が発見されたという話を耳にした。結局のところ、日記には河口慧海がどこの峠を越えたのかは明記されていなかったのだが、日記発見の報を受け、越境峠説についてこれ以上考えるのはよしておこうと思った。河口慧海の日記が存在することは50年ほど前に西ネパールに学術調査に入った「鳥葬の国」の著者川喜田二郎が「はるかなるチベット」の巻末対談で指摘していることなので、驚くには当たらないが、チベットの未踏峰の登山が、日記が再発見される前に行われてよかったと胸をなでおろしているのは僕だけではないだろう。
今回の登山に関しては「山と渓谷」と「岳人」に原稿を書かねばならなかったので、どちらかに山の記事を書き、どちらかに河口慧海の記事を書こうと思っていたのだが、岳人に山の原稿を書いたので、山と渓谷には河口慧海の原稿を書くしかなかった。だが、「山と渓谷」の方では、河口慧海の記事はほかに書く人がいるというので没になってしまったのだった。
記事の掲載は没にはなったが、登山記録として七年にわたって行われた一連の登山活動や僕なりの河口慧海の越境峠説に対する見解を書き残しておかねばならないと思っていたので、記憶が生々しいうちにと思い、少しずつ書き始めた。そんなわけで、延々書き上げた原稿は日本山岳会関西支部の登山報告書作成のために書いたものではなかったのだが、結構な量の原稿を書いたことを僕から聞いた大西保が、地名のつづりやゴンパの名前などの間違いをチェックしてやるからちょっと原稿を見せてみろと言うので、彼にそれまでに書いていた原稿を送った。
ところが、しばらくしてこの原稿を登山報告書に載せるという連絡があった。苦労して書いただけにちょっといやな気がしたが、何度も現地に足を運びながらも今回の登山に参加できなかったさまざまな人のことを思うと、登山報告書に載せる意義は確かにあると思い、その意見に従うことにした。この膨大な原稿のおかげで、編集作業をしていた大西保から「おまえのおかげで報告書のページ数を増やすことになった」と文句を言われたが、もともと登山報告書用に書いた原稿ではないのだから、僕に目くじらを立てられても困ってしまう。そう決めたのは自分たちの方で僕ではない。登山報告書に載せるだけの価値を認めたのは自分たち編集担当の人間で僕ではないのだから。
手持ちのマニ車 一回廻すごとにお経を一回読んだのと同じことになる。山肌の草原が放牧地として使われるチベット圏で意外に野生動物が多く見られるのは、チベット仏教の浸透と深いかかわりがあるのだろ う。ゴシャル・ゴンパ周辺にもたくさん動物がいた。 絵=橋尾歌子
しばらくすると大西保から、この原稿をこのまま載せるか、という問い合わせがあった。実は原稿はもっと先に進んでいたのだが、当然ながら大西保が手にした原稿はこの原稿を送った時点のまま、僕の希望を託してルンチュンカモ・ラ越境説を採用したところで終わっていたのだ。
電話を受けてこの先いったいどうしたものか迷った。実は、僕はこの原稿をそのまま載せてもいっこうに構わないと思っていた。原稿そのものは慧海の日記発見の報を受けて以後もなお少しずつ書いてはいたのだが、先に進んだ思考はどうやら慧海が越えた峠はやはりクン・ラらしいという方向に向かっていた。しかし、単独での越境という夢を残したまま筆を置いた方がいいような気がしていたのだ。その先はそれを読んだ各人が判断する方がはるかに楽しめることだろう。
だが、結局、僕は適当なところまで書き進めることにした。しかし、この結果、たとえ原稿を書き加えても、すでに決まったページ数をこれ以上増やすことができないので、新たに書き加えた分はすでに送ってある原稿のどこか一部を切ってうまく繋げ、行数や文字数まで細かに調整して書かなければならず、とんでもなく厄介な作業をするはめになった。おまけに送り返されてきた原稿は、ワープロの置換の機能を使って文字に校正を加えていたので、あちこちのページにおかしくなった文字や文章があり、さらに厄介なことになっていたのだった。
「南を振り返れば、ドーラギリの高雪峰が雲際高く虚空にそびえている」
河口慧海は「チベット旅行記」に峠から見た景色をこう表現しているが、峠越えの最中に、このような遥かな山並みを見たのであろうか。ツァーランやマルパはこの 山並みの左手の方向になる。山並みは、ダウラギリ山群とそれに続く西ネパールの山々だ。写真左端はダウラギリT峰(8167m)である。河口慧海が南に見える山並みそのものをドーラギリと表現したと考えてもおかしくはないだろう。 写真=橋尾歌子
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