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岳人連載「しぶとい山ヤになるために」 2009年度テーマ

連載1年目内容連載2年目内容連載3年目内容岳人連載全タイトル文章の誤りについて連載を楽しむために

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山岳雑誌『岳人』=マウンテニアリングセミナー 『しぶとい山ヤになるために』 好評連載中!
2007年1月号から2009年12月号まで連載予定

<岳人は毎月15日発売です>

三年目連載を始めるにあたって 2009年度のテーマと内容 「岳人」連載の全タイトル

● 「しぶとい山ヤになるために」連載三年目の原稿書くに当たって

この連載を二年目で終わりにすると冬山の活動が書けないなと思っていたから、三年目の連載は始めから望んでいたことでもある。だから三年目まで連載を継続する話は早い段階ですぐに決まった。三年目はほぼ初めて行うに等しい冬山登山や冬季登攀について考えてみる。こうした登山の基本が夏山にあることはいうまでもない。自然条件が厳しい冬山に登りたいのなら夏山を十分に登って体力をつけておくことが必要である。

僕自身はこの連載の中でトレーニングについて若干触れたが、閉鎖的な環境の中でトレーニングをするのはどうも性に合わない気がする。実際、僕自身は山のことは山に行ってトレーニングをしたらいいくらいにしか考えていない人間で、家ではランニングと懸垂と縄跳びくらいしかやっていなかった。でもこれらのトレーニングはけっこう根性を入れてやっていたのは確かだ。実際、懸垂は片手懸垂ができるくらい激しくやった。

ところがこのころというのは僕がいちばん酒を飲んでいた時期とも重なる。だからというわけではないが、山に行ったら真剣に登った。歩くことも攀じ登ることもすべてが山登りであり、すべてが僕のトレーニングでもあったのだ。だから夜は激しく飲んでいたのだが、朝起きたらとりあえず山登りに出かけていた。その目的の一つは昨夜飲んだ酒をすっかり抜くためであるが、もう一つの目的はトレーニングである。山というのは自然に傾斜がついているから歩くスピードを替えれば負荷の高いトレーニングができるし、スピードを緩めれば負荷が低いトレーニングが容易にできる場所である。それを逆手にとって、山を登るためではなく、体力をつけるために山を登るわけである。

越沢バットレスでの朝のお散歩は大塚山か御岳山か大岳山である。起きたばかりはちょっと酒臭いが、少し動けばすぐに汗が出てきてさわやかな気分になる。朝の山は空気が澄んですがすがしい。そんな中を酒臭い男が通っていくのだから自然に撮ってはたまらないことかもしれない。体に合わせて負荷を調節しながらもっともいい状態に持っていく。それが子どものころからの僕の山登りかもしれない。自然と溶け合えやがて一体感が生まれる。僕は自然に生かされている。そんな感じがとても気に入っている。だから本当は都会の居酒屋で飲んでいるより山をほっつき歩いていた方が楽しい。

本書では、僕はこれからまったく行く気もなかった冬山に出かけていくことになる。はてさて僕はどんな登山を展開したことなのやら。計画した事前のテーマは冬富士講習会だったのに、話を分割しないと書ききれないことがたびたびあり、何度か順延しているので新年1月号は谷川岳の集中登山の話から始まることになる。これはすでに原稿を送ってあるので、次は2月号のテーマを書き上げなければならない。そのテーマは、「新人と先輩の力量」か……。漠然としたテーマだな。冬になる前に自分の力をよく見てみろってか? そういうわけではないのだが、新人と先輩の力の差は半年くらい動いた程度じゃ縮まらないということを囲うと思っているのだ。

また、1年が始まる。だけど今度の一年は短い。12月号の発売は11月15日で、その前の月の10月下旬には僕の手を離れるということだからそれまでの辛抱だ。山ってい論阿古とを考えながら登っているんだね。こんな文章を書いているとそれがよくわかる。11/下
文章には日付をいれとかないと何時書いたのかわからないな。


● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」三年目のテーマを考えてみる

2009年度岳人原稿月ごとのテーマ

1月号 (25) 富士山講習会
2月号 (56) 一ノ倉沢中央稜
3月号 (27) 冬山合宿
4月号 (28) アイスクライミング講習会
5月号 (29) 黄連谷左俣
6月号 (30) 第三スラブ
7月号 (31) 八ヶ岳
8月号 (32) 阿弥陀岳南稜
9月号 (33) 進取の気性
10月号 (34) 未定
11月号 (35) 春山合宿
12月号 (36) 春山合宿

以上ここまでで山学同志会一年目の積雪期登山・冬季登攀編が終わり、一年目の総括としての意味合いを持つ二年目の山行に入ったところで連載もめでたく終了とする計画だ。春山合宿の時期、実際には四月から講習会が始まる五月中旬までは新人がいない機関だから思い切った山行を計画することができる特別な時期である。この連載もその時期を描いて終わりにしようと思う。これを見れば新人の育成には先輩の力が大きくかかわっていることがわかるだろうが、新人の方にも行く気というものがなければ話にならない。長い連載だったが、これらの文章から何かつかめるものがあったろうか。あれば幸いだ。


● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」 2009年度の原稿のテーマおよび掲載タイトル

1月号 (25) 谷川岳集中登山         2008年12月中旬発売
2月号 (26) 新人と先輩の力量         2009年1月中旬発売
3月号 (27) 冬富士講習会                2月中旬発売
4月号 (28) 谷川岳一ノ倉沢衝立岩中央稜冬季登攀     3月中旬発売
5月号 (29) 穂高岳冬山合宿               4月中旬発売
6月号 (30) 西沢渓谷アイスクライミング講習会      5月中旬発売
7月号 (31) 甲斐駒ヶ岳黄連谷左俣冬季登攀        6月中旬発売
8月号 (32) 八ヶ岳横岳西壁大同心雲稜冬季登攀      7月中旬発売
9月号 (33) 谷川岳一ノ倉沢滝沢第三スラブ冬季登攀    8月中旬発売
10月号 (34) 八ヶ岳三月合宿              9月中旬発売
11月号 (35) 進取の気性<未定>           10月中旬発売
12月号 (36) 北アルプス継続登攀春山合宿<未定>   11月中旬発売

連載1年目連載2年目連載3年目

実のところ最後はどこで終わらせるか未定だ。そればかりはもう少し書き進んでみなければわからない。上記テーマはあくまで執筆予定だけど、こんな感じでこの連載を進め、どんなふうに登山の基礎を築き上げたの課を示して終わらせるつもりである。僕の新人時代とも言える時を過ごした合計200日余りの登山は驚きと学びの連続だったけれど、山学同志会の一年間の出来事は確実に基礎を固め、明日への飛躍の種を生んだと実感する。すべての人がこんな登攀ができるわけではないだろうが、まずは自分自身に登ろうという気持ちを植え付けることが大切である。この年はフリークライミングの芽が出たところで、枝葉を伸ばし始めるのは翌年のことだ。実際、翌年からハードフリーと言う言葉が聴かれ始めたのだ。フリークライミングの台頭はこのハードフリーという言葉とともに始まったのである。僕はこうした知識や技術を吸収しつつクライミングの幅を広げ、山学同志会在籍二年目は海外登山にも出かけた。その海外登山は、アルプスでは1000mの標高差のルートを攀じ登り、イギリスでは5.11cというグレードを持つルートを攀じ登った。そんな登攀に触れた僕は、フリーとアルパイン――その両方を融合させる必要を感じそんな登山を目指したのだ。


● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」三年目の内容

冬山には興味も行く気もまったくなかった僕は、秋が深まると、当然のように、今年の登山もそろそろ終わりだな、と思い始めていたのだった。ところがこの年の登山はなかなか終わらなかった。それは、山に初雪の便りが届き始めると、ふたたびゲレンデで岩登りをするようになったからである。

その岩登りは夏の間に行った岩登りと違ってアイゼンと手袋をつけて攀じ登るちょっと毛色が変わったものであった。だが、そこに存在していた岩登りの難しさは新たな興味を引き起こすに十分であった。そてしその興味は季節の進展とともに冬の岩登りへの興味を育み、冬山にはまったく興味が持てなかった僕を考えても見なかった冬山へ誘ったのだった。

連載三年目はそんな興味を糧として冬山登山を飛び越し、冬季登攀の世界へ邁進していく山学同志会在籍一年目後半の姿を綴る。引き続き30年も前の冬季登山や冬季登攀の話で恐縮だが、もし内容に興味を抱いたら、図書館にでも出かけて、山岳雑誌「岳人」を手にとって読んでみて欲しい。ここに記した内容は、年代でいえば、すべて1979年秋から1980年春にかけて行った登山だ。

1980年春以後は山行制限が一切なくなり、自分が行きたい場所に行くことができるようになったので、この年ゴールデンウィークの山行までが先輩の力を借りながら独り立ちする基礎を築いた登山ということになるのだろう。冬山登山の基礎はラッセルに対応できるかどうか、すなわち体力が十分に備わっているかどうかという点が大きいことは言うまでもない。夏山の山行を通して、そういった力が知らないうちに備わっていたようである。

 

 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」掲載原稿の内容

1月号 (25) 谷川岳集中登山
集中登山のための偵察行と本番。山登りはいろんなことが起こる。そして事が起こったときは本当に力がいる。確か、本番時は三パーティーほどに分かれて三つのルートを登ったのだと思う。皆が下りてきていなかったので事故が発生したのかと心配したが、そうではなかった。山では何らかの原因で行動が遅れていくことがある。が、周りは遭難時に備えて行動をし始める。このとき巌剛新道をとんでもないスピードで登ったのは坂下直枝、石橋眞、木本哲ではなく、坂下、岡野孝司、木本の三人だったそうだ。登るメンバーがたとえ誰であってもこの登山にかかる時間は山学同志会の正会員であればまったく変わりはしないだろう。

2月号 (26) 新人と先輩の力量
新人同士で登るのと先輩と組んで登るのとでは登る量に差がある。その差はどうしてできるのか。不思議だなあ。でもその差を作る最も大きな要素は判断力だろう。

3月号 (27) 冬富士講習会
冬山に行く気など毛頭なかったのだが、新人対象の講習会だったせいもあるし、冬壁を登りに行きたいという思いがあったし、そんなこんなで何となく冬富士講習会に参加することになった。でも、実際のところ、その裏には冬も岩登りができるのだという再発見があったことは否定できない事実だろう。しかし、相変わらず冬山はどうでもいいけど岩登りはしたいというへんちくりんな考えを持っていたのだった。

4月号 (28) 越沢バットレスアイゼントレーニング
順番で言えば冬富士講習会の前に書くべき内容であった。こうしてみれば、冬壁を登りに行こうという意識がはっきりする。この話は谷川岳一ノ倉沢衝立岩中央稜の話とくっつけて書くつもりだったのだが、これだけでいっぱいになってしまい、越沢バットレスアイゼントレーニングの話を独立した章として立てるしかなくなってしまったのだ。実際のところ、十一月の一月まるまるアイゼントレーニングをしていたのだから独立した章として扱ってもしようがない山行である。でも、このあとのゲレンデ山行はほとんどアイゼントレーニングになってしまった。

5月号 (29) 谷川岳一ノ倉沢中央稜冬季登攀
山学同志会に入るまでの冬山登山経験は三日しかなかった。それもスキー場の脇から抜け出られなかった冬山の経験だから、冬山登山の経験などないに等しい。僕の始めての冬山登山は富士山だと言っても過言ではないくらいなのだ。そんな僕が初めて冬の岩壁を登りに出かけた。二回目の冬山登山とも言うべきものだが、この山行以後、冬の初めに谷川岳一ノ倉沢中央稜か南稜を登りに行くのが定番になった。冬は夏と打って変わって難しい登攀を強いられる。しかし、その難しさが興味の対象となっていたのだ。だが初めての冬季登攀は僕にとって衝撃的な山行であった。

月号  (30) 穂高岳屏風岩冬山合宿
新人のうち四、五人が屏風岩登攀パーティーに組み込まれることになった。僕もそのうちの一人として屏風岩を登りに行くはずだったのだが、散々な結末になってしまった。何だか大きな試練を与えられたような気がするが、長く登山活動を続けていくうちにはこういう山行もたびたびあるのだろう。でも、この山行がのちの飛躍を確実にしたようなものかもしれない。

7月号 (31) 奥秩父笛吹川東沢アイスクライミング講習会
初めてアイスクライミングをした。この当時のことを思い出すと、手は歩行用のピッケルと短いアイスハンマーの組み合わせでさすがに道具は古くさいと思ってしまうが、氷そのものは冬になると今もそこにできる。そして今もクライマーを迎えているのだ。使用する道具はその当時とは比べ物にならないほど今は氷を登りやすいものになった。が、その当時は今から見ればとても使いにくい道具を用いて氷瀑に挑戦していただけではなく、同じ道具でアルプスやヒマラヤの氷雪壁にも挑戦していたのだ。今の人は氷雪壁を登りやすい道具を手に入れているのだが、奥山の氷雪壁へ出かけていく人は稀で、数えられるほどしかいなくなった。それでも岩登りに比べれば氷登りをする人の方が多い。それだけが救いだ。

8月号 (32) 甲斐駒ヶ岳尾白川黄蓮谷左俣冬季登攀
先輩に誘われ、甲斐駒ヶ岳を登りに行くことになった。目標のルートは尾白川黄蓮谷左俣と赤石沢奥壁中央稜だ。出発前の明け方の天気は雪が舞う状態であまりよくなかったが、しだいに天気が回復してきたので、登りに行くことにしたのだが……。二日間という短い日程の山行だったが、とても楽しい山行だった。氷雪壁はこんなふうにして登るのだと教えてくれた気がする。

<岳人8月号発売中!  次回岳人2009年9月号は8月12日発売予定>
9月号 (33) 八ヶ岳横岳西壁大同心雲稜冬季登攀 8月12日発売予定
冬山合宿終了後八ヶ岳は新人同士でも登ることができる冬季登攀エリアとして解放された。しかし、山学同志会の中では八ヶ岳は冬季登攀のゲレンデと捉えられていたし、僕自身の冬季岩壁登攀自体が谷川岳一ノ倉沢から始まっていたので、八ヶ岳にはそれこそゲレンデ感覚で挑んだ冬季登攀であった。そんな感覚の中で冬の大同心周辺の登攀ルートに挑み、すべてのピッチをリードして登るつもりで出かけたのだが、どんな壁でも自分にとって未知の岩壁に挑戦するというのは大変なことだと実感する。しかし、それだからこそ冬山は危険でもあり面白いものでもあるのだと認識させられた。もちろんその前提には生きて還れればこそという文字が加わるのだが……。僕が計画し、僕がすべてのピッチをリードして登った最初の冬季岩壁登攀だ。もちろん八ヶ岳登山そのものが初めてだったから余計面白かった。未知の岩壁を初見で登っていくのは下降も含めてとても難しいことだけれどとても面白いが、もちろんそれ相応の知識と技術と体力が必要になる。

<執筆中!>
10月号 (34) 谷川岳一ノ倉沢滝沢第三スラブ冬季登攀 9月15日発売予定
谷川岳一ノ倉沢第三スラブは僕たちが登る少し前までは伝説が渦巻くルートであった。しかし、僕が登ったころには伝説は消えうせて、誰もが登るようなルートになっていた。もはや難しさはなくなっていたが、未だに氷雪壁の大きなルートであることは間違いない。3月初旬のこの登攀は冬季登攀や冬季登山について多くのことを考えさせられた。

11月号 (35) 八ヶ岳三月合宿 10月15日発売予定
新人対象の山行が組まれ、阿弥陀岳南稜から赤岳〜横岳〜硫黄岳の岩稜を縦走した。僕は皆と同時の行動はできなかったが、あとから追いかけて合流した。かなり速いスピードで登っていったので薄着で登ったが、冬はやはり冷える。山は山行形態に応じてさまざまな力が必要になるが、さまざまな登り方をしているだけにさまざな経験をすることになったこの一年の、しかもこの連載のフナーレを飾る山行だ。びしっと決めたいよな。

12月号 (36) 進取の気性 11月15日発売予定
山学同志会在籍一年目の登山活動は五月末の鹿沼初級岩登り講習会に始まり、三月末までで終わった。実際のところは五月末に入会する前に谷川岳一ノ倉沢雪上講習会があったのだが、そのときはまだ僕は山学同志会に入会していなかった。また入会後すぐに丹沢で歩荷講習会が開催されたのだが、時間が都合できず参加することができなかった。二つの会山行に参加することができなかったのだが、山学同志会在籍一年目の登山活動は山学同志会が制定した点数制度に照らし合わせて計算すると、新人どころか全会員の中でトップの成績を挙げていた。それまでの三年あまりの活動状態を考えると、この一年の間にこれほど激しく登ったこと自体が信じられないことだった。だが、それでも僕は少しも満足はしていなかった。もっと登りたい――。体の底からそんな思いが溢れてくるのだった。この一年いろいろなことがあった。でも、僕はやっとアルパインクライミングの入り口にたどり着いたに過ぎないこともわかっていた。来年度は最初から山行制限が課せられない。始めから自分が登りたいルートに出かけて行って登ることができるのだ。そう思うとそれがどんなにうれしいことか言葉では言い表せない。来年度はどこを登ろうかと考えるだけでもわくわくするのがわかる。この一年の登山や登攀を基礎にどんな登攀をしようかと考えるとさまざまな思いが溢れてきた。

● 4月号内容の独立に伴うはみ出し

12月号 (36) 北アルプス継続登攀春山合宿<未定>
希望に燃えて動き始めた山学同志会二年目の登攀。春山合宿は新人が独りもいない時期だから、思い切った登山ができる。
越沢バットレスアイゼントレーニングの章が入ったのではみ出した。

● 200日

200日という時間と技術・体力・経験・闘志に溢れたいい先輩がいればこんな山行ができると考えてもいいのかもしれない。だけど、今は山岳会が衰退している時代だからこうした山行を重ねることは難しいのかもしれない。それに代わるのがガイド山行ということになるのだろが、ガイド自身の経験はピンキリだし、もちろんどんなガイドについて学んでもこんなことができるとはかぎらないだろう。実のところ氷雪壁のルートなら八ヶ岳意外もありうるけれど岩壁となると普通のガイドでは八ヶ岳以外に出かけることは少ないだろう。なにしろそんなところに行けば自分が登るだけで精一杯になるガイドの方が多いはずだ。それにそんなことをした日にはクライアントに大金がかかってしまう。いずれにしても真摯に登山をやりたいと願っている人には今は難しい時代なのではないかと思う。でも、真剣に登っていればどこからか噂を聞きつけて声がかかるようになるはずだ。ガイドとしての僕はよく知った人ならそんな場所をガイドして登ってもいいと思っている。

● 原稿書きと登山

原稿を書くのは好きだけど非常に大変だ。山から帰ってきた直後はそんなモードにはなかなかなれないというのが実情だからなおさらそんなふうに思う。三年間の連載が無事終了したら幸いだと思う。もちろんそのときは一人で祝盃をあげることにしよう。

● 補足しておかねばならないこと

この三年間の連載を読んでみていかがでしたでしょうか。といってもまだ連載二年目さえ終わってはいないのだが、「しぶとい山ヤになるために」はどうすればいいのか何らかのヒントをつかむことができたでしょうか。この連載に関してどんな反響があるのかさっぱりわかりません。この記事を読んで嘘だろうと思う方もいるかもしれません。でも、僕はこんな具合に育ってきました。山学同志会在籍二年目以降は自分で計画を立てたものか先輩と対等な立場で計画した内容で山行を展開していますので、これらの登山経験を基礎として二年目以降の山行に挑んだのはまがうことのない事実です。

この連載では、山登りを始めてから四年間の山行のうち山登りというものがわかってきた前半二年半を一年間に凝縮し、自らの意思で難しさを求めて進み始めた後半の一年半を二年間にわたって書いてきました。体力を育み、力のある人物のもとで山登りを学べばこんな具合に早い成長が見込める気がします。山は危険がたくさんあります。そんな危険にさらされるのは日常茶飯事です。そう考えればよりよい指導者、経験深い指導者のもとで山登りを学ぶのが手っ取り早いと思えるし、安全性も高く、成長も早いでしょう。

この連載ではゲレンデのことについてあまり触れていませんが、当時のルート図を見ると、一般的にはフリークライミングはX+が最高グレードのように思えます。そのせいか、実際のところは、W+・A0やA1という組み合わせのグレードがたくさん見られます。しかし、僕たちは既成ルートのフリー化や正規の登攀ルートから外れることによって、自然にY−、Y、Y+、Z−……など、つまり、デシマルグレードでいうところの5.7を超え、5.8、5.9、5.10a……の世界に入っていきました。

この当時、困難なフリークライミングはハードフリーと呼ばれ始めていました。その意識がいまだにあるのか、一般的な風潮はこのあたりのグレードを境にアルパインクライミングとフリークライミングを分けて考えているように思います。しかし、これらはアルパインクライミングとフリークライミングを分ける指標ではなく、岩登りの難しさに対してつけられた一連の指標に過ぎません。僕はアルパインクライマーだからこそ高難度のフリークライミング技術が必要なのだと、当時はもちろん今でもそう思っています。山学同志会在籍二年目以降の登攀はそういった意識なしには考えられません。そのことを添えて、この連載を終わりにしたいと思います。

と、ここまで書いてきたら、実はここまでは「しぶとい山ヤになるために」必要な基礎を作る段階で、ここから先が「しぶとい山ヤになるために」重ねた本当の山行なのだと思い始めた。でも僕はこうやって基礎となる力を築き上げ、新たな一歩を踏み出していったのでした。


● 幻の四年目?

当初、どうせなら二年に一冊の割で本を出せたらいいと考え、四年間の連載ものにしようともくろみ、連載四年目の内容をどうするか考え始めていたのだった。しかし、この連載そのものは三年間で締めくくることが決まっているというかそこで締めくくるつもりなので、四年目はもちろん、それ以降の内容を考える必要はなくなったのだが、どんなことを書こうとしたのか興味があったら覗いてみてください。

この連載は、僕が山登りを始めた時点から、岩登りがしたくて埼玉谷峰山岳会に入ったものの夏場だけ、それも沢登りを中心に活動をしていた三年間、さらにどうしても岩登りがしたくなってたまたま山学同志会という山岳会に入ることになった。その山学同志会で水を得た魚のように岩をがんがん登り始め、岩登りがしたさに冬山にも出かけるようになった一年間、トータル五年あまりの間に行った約二百日の山行からセレクトした登山や登攀の模様を綴ったものだ。

これは雪山登山どころか雪さえ知らなかった人間が、登山や冬季登攀に目覚めるまでの山行を綴ったものと言ってもいいのかもしれない。いずれにしても三年というずいぶん長い連載だったけど、振り返ってみると面白い原稿書きだったなと思えて終わることができたら最高なんだがな、と思う。終わるときには編集者に多大な迷惑をかけたと反省しなければならないのは今から目に見えていることだが、辛抱強い編集者が担当でなかったらできなかった企画であったことだけは間違いない。

「しぶとい山ヤになるために」のテーマを考える 1年目〜4・5年目

● 山学同志会在籍二年目以降の山行

考えてみたら山学同志会在籍二年目以降の山行は一年目以上に内容が激しい。それは一年を通して登山をしたことで十分な体力がついてきたからであり、また登攀技術も飛躍的に進歩向上したからである。その上で一年目に課せられていた山行制限が撤廃され、始めから自分が好きなところ、自分が登ってみたいところを自由に計画することができるようになったからである。二年目以降の山行が厳しい内容になっているのは、自分自身の考え方自体が、もっと面白そうな内容、もっと難しそうなルートという形で、だんだん登山内容が加熱し、経験の蓄積によるレベルアップとともにさらなる困難を求めているからでもある。結果、年を追うごとに厳しく激しい山行を求め、だんだん途方もない行動になっていったような気がしているのだが、それにしても山学同志会在籍二年目以降の行動は山学同志会在籍一年目の経験を基礎としているわけだから、必ずしもとっぴなものではありえない。

自分が好きなところ、興味があるところ、自分がもっとも興味がある登り方で登山を実践するのは面白い。実際のところ、僕自身はそんなコンセプトで山行計画を立てていたし、そんな山行しかやってはいないといってもいいかもしれない。が、興味があるところを登りに行く――。実は、山登りはそれがいちばん楽しいことであると思うし、面白いことであることは疑うべくもないだろう。ここに掲載したのは経験未熟な新人にとっては難しい山登りばかりかもしれないが、実際に登っているときはそれほど難しいことをしているという意識はなかった。それよりつぎつぎに新しいことができて楽しかったという気持ちの方が大きく、そんな気持ちがまた難しい登攀に向かわせたのである。

でも、裏山で遊んでいた僕がいちばん好きな山は、実は藪山である。だからこんな厳しい山に出かけていくのと同じ興味を持ってふらりと藪山に出かけていたのも事実である。早朝、越沢バットレスで岩登りを始めるまえに大岳山や御岳山、もっと手前の大塚山を登りにいったのは体から酒を抜くためであったり、体力を養ったりする目的のほかに、単に藪山を歩くことが好きだったからという理由も大きい。山登りにはさまざまなジャンルがあるがそのどれもがどこかで繋がっており、何をやろうとけっして無駄にはならないということだけは言っておきたいと思う。

実のところ、僕は山そのもの、山にいることそのものが好きなのである。だから、僕が登る山は難しいルートでなければならないという定めはない。僕は山がなくても丘と草花があればそこで十分山を楽しむことができる。そんなところはほかの人と比べ大きく違っている点かも知れない。世界の山に出かけていってもアプローチから頂そのものに至る道すべてで楽しむことができるのはそんな下地があるからに違いない。でもより難しいルートをとって登れるなら既成ルートではなく、バリエーションルートを登ってみようと思ってしまうし、実際にそう考え始めてしまう。でも、無理にそうしているわけではない。それは子供のころの遊び自体がそういうものだったから自然にそうしているだけのことだ。僕はそれを強く意識したことは一度もないが、おそらくそういう行動が人間にとっていちばん自然な姿なのだろう。

さて、山登りは何も一つの登り方に固執して幅を狭めることはない。山登りの楽しさ、厳しさ、難しさは無限の方向に開かれているのだから気の向くまま山を思いっきり楽しんだらいいのだ――。僕はそう思う。

こうした経験を生かして下記のような登山を行いました。

自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています
「目次」を参照してください
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……海外の山もさまざまなところへ登りに出かけました
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと

「しぶとい山ヤになるために」のテーマを考える 1年目〜4・5年目

※ 批評や批判は大歓迎――違った見方・考え方などがあればいつでも メール をお送りください。

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