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日本の秘境(平凡社) 「米子不動・コブラ初登攀」
米子不動の未踏の氷瀑「コブラ」の初登攀について書くことになった。この初登攀は瓢箪から駒のような出来事であったが、米子不動を登りにいくことになるまで米子不動がどこにあるのかさえ知らなかったのだからおかしくなる。「岩と雪」に掲載された記録を見せられるとすぐに思い出したので、単に記憶からもれていただけのことであったが、この日まで米子不動に登りに行こうとさえしなかったことがまた不思議に思えてならない。氷がばかでかいだけに面白そうに見えたのですぐに登りに行ってみようという気になった。米子不動の氷瀑に興味を持って初めて訪れた地で、幸運にも未踏の氷瀑を見つけるという実にラッキーな展開だった。未踏の氷漠があるということ自体が信じられないことであったが、一目見て登れるとわかるものを登らないのでは話にならない。だが、最初は誰も未踏の氷瀑を登ろうとは言わなかったので不思議でならなかった。逆に、まず既成ルートを登ろうという有様だったのだ。その考え方はわからないでもないが、せっかく登攀記録がないと思われる氷瀑が目の前にあるのだから見逃す手はないだろう。歯切れの悪さにちょっとイラついたが、結局未踏の氷瀑を登ることになった。自然の中で行う氷瀑登攀は小さな気温の変化でも氷の質が大きく変わるので、アルパインクライマーはそういった変化に敏感に対応することが必要だ。幸い二つの氷柱の初登攀は、幸運に恵まれ、成功を収めた。これらの登攀は、実は、プロテクションをとるのにピッケルにぶら下がって全体重を預けるという昔風の登り方はしていない。プロテクションをとるあときは体重を片手で支え、片手でスクリューをねじ込むという、当時では考えられない方法で登ったのである。2000年ころの話で、今ではすっかり当時とはアイスクライミングの道具が変わってしまったが、今の道具ならもっと登りやすくなっているはずだ。後年、長年にわたってこの氷瀑を登ろうとチャンスを窺っていた人物とも思わぬ出会いをし、初登攀の裏にはドラマがあるものなんだなと思った。このとき使った道具は、アックスはシャルレのアクサー2本。クランポンは同じくシャルレのグレード5。スクリューはロシア製のハンドル付。オーバーハング気味の核心部は僕がいつも使っていたハンドル付スクリューを使ったのだが、これがなければフリーでなど登れなかったろう。氷は道具の質が大きく左右する。
この登攀はNHKテレビのニュース番組「おはよう日本」の中で紹介されたので、この未踏の滝が初登攀された噂はすぐに広まったようだ。このニュースは滝が初登攀されたことより、むしろその登り方の方が強烈な印象だったらしく、これ以後はノーテンションという言葉がはやった。その一方ではこれらの登攀は、登った人間が皆ガイドだから、ガイドだから登れたというような噂も立っていた。しかし、ガイドだから登れるわけではない。氷はいつもこんなスタイルで登っていたし、どうせ登るならこういうスタイルで登りたいとも思っていた。また、実はそうしたことが可能になるようなアイスクライミングギアを1980年代半ばからずっと使って登っていたからこそできたことなのである。
そのセンセーショナルな登り方とあいまって登攀記録は米子不動に興味がある人間は誰でも皆知っていたようだが、その一方、この時の登攀記録は、アナコンダの初登攀も含めて、誰も、どこにも発表しなかったのである。これらの初登攀に関わった人間が4人もいたのだから、その中の1人くらいはそんな人間が現れてもよさそうなものだが、結局誰も発表はしなかったのだ。僕自身も記録を発表することにはそれほど興味がなかったのでそのままにしておいたのだが、あるとき、平凡社の雑誌太陽のシリーズものの一冊として「日本の秘境」を発行することになり、編集者からこのときの記録をぜひ書いてくれといわれ、しぶしぶ書いたものだ。
この登攀は確かにセンセーショナルだったが、数年後、アイスクライミングギアが一新され、引っ掛かりのよいアイスアックスが出回り始めると、ノーテンションは一般的になり、さらにリーシュレスの時代を迎えることになったのである。リーシュレスへの転向はリーシュをつけたりはずしたりすることが面倒だったのでごく自然に受け入れた。クォ−クが発売されてからというものは、リースレスで登るのがすっかり当たり前の感覚になった。今や昔のオーソドックスなテンションスタイルで登っている人とリーシュレスでがんがんリードして登る人と対極の姿を見るが、リーシュレスで登る方がはるかに楽だと思うのだがいかがか。リーシュレスのクライミングはアイスクライミングそのものの形を変えただけではなく、垂直やオーバーハングの登攀を容易にしたばかりか、アイスクライミングのスピードそのものも早めた。
米子不動の大きな滝を二本登ったのち、大谷不動にも興味があって保科雅則らと登りに行ってみたが、こちらは米子不動と違ってこじんまりした雰囲気だった。米子不動の印象があまりに強かったので大谷不動は小さく見えた。まあそればかりはしようがない。それでもまあまあ面白かった。米子不動より近い印象だ。
Explorer Spirit 木本哲
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