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岳人連載「しぶとい山ヤになるために」 2007年度テーマ

連載1年目内容連載2年目内容連載3年目内容岳人連載全タイトル文章の誤りについて連載を楽しむために

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山岳雑誌『岳人』=マウンテニアリングセミナー 『しぶとい山ヤになるために』 連載開始
2007年1月号から2009年12月号まで連載

<岳人は毎月15日発売です>

2007年度テーマと内容  2008年度テーマと内容 「岳人」連載の全タイトル

● 連載開始

山岳雑誌「岳人」に連載を始めることになった――。

登山を始めてからというもの、山を通して交流が始まった何人もの人間が大好きな山で死んでいった。山ヤってどうしてどいつもこいつもこんなにも簡単に死んでいくのだろうか――。あまりに切なくて半ば腹立ち紛れに思ったものだ。幸いなことに僕は山で死ぬことなく今もまだ生き続けている。だからと言って自分が“しぶとい山ヤ”だとは言い切れない。それは、今まではたまたま幸運に恵まれていただけかもしれないからだ。

山には危険がいっぱいある。幼いころから山と川で遊んでいたせいか危ない目にも遭っている。だから心の奥底には常に自然を恐れる気持ちがある。そんな僕にしても、これまで山で死にそうになったことはない、と言ったら嘘になる。むしろその逆で、山で死にそうになった経験、死んだと思われた経験、死を看取った経験、死に様を見つめた経験はたくさんある。子供のころの山遊びや川遊びの中でもその芽はたくさん見た。そして今もなお見続けている。

大人になって始めた登山は危険の種類も大きさもまちまちで、危険に遭遇して生じる結果も無傷から死までさまざまである。登山はもともと危険が多い大自然の中に自ら進んで分け入っていく行為であるから危険に直面するのはごく当たり前のできごとである。そんな危険が待ち構えている場所へ出かけて行くというのに、こちら側がそれに対して何の準備もしていないのだとしたら、何年もの間そんな状態でずっと山登りを続けていくのだとしたら、いつの日か痛い目に遭うのは目に見えている。それが小さいものか、大きいものかは別にして。それは感覚的に感じてしまう。だから山では常に生き抜くことを考えなければならない――。そう思う。

しかし、たとえそのつもりで慎重に対処していたとしても危険は向こうから勝手気ままにやってくる。何十年も登山を続けてきて今まで一度も危険な目に遭わなかった人は幸運である。そんな人は僕に比べればずっと幸運な人間であることは間違いないだろう。山には理不尽かつ非情な死がある。しかし、その一方では真摯な生もある。山には理不尽かつ非情な死しかないとしたら山登りなどする気にならないだろうが、真摯な生があるからこそ山に出かけてみようかと考える。その真摯な生は都会の生活で疲れた体に鞭打って出かけていくように見えるのに、山に出かけていくと案外身も心も安らかにさせてくれ、リフレッシュして都会に戻ってくる。山にはなんとも不思議な力がある。

しかし、油断をしているとひどい目に遭うのが山だ。だから山に出かけるにはひどい目に遭わない知識や技術や体力が必要になる。山で必要になるそういった知識や技術や体力の範囲は、実のところ遭難から学ぶのが最も理にかなっている気がする。遭難は原因なくして起こらない。原因があるからこそ結果がある。

真摯な生を楽しみたい。しかし、そのためには理不尽かつ非常な死を見つめなくてはならない。遭難死した登山者や遭難を引き起こした登山者を責めるつもりなど毛頭ないが、その事例から何かを掴んでその死や生を自分の生につなげなければならない。少なくともそうしなければ自分がそうした遭難を引き起こす可能性がある。その遭難は、彼あるいは彼女の身に起こるだけではなく、当然僕の身にも起こりうるものなのである。

そう考えればその遭難は僕に生を与えるための遭難へ昇華できる。その遭難を自らが行う登山に役立てることができれば少なくとも彼らの死は無駄にはならない。しかし、そうするためにはそこにある真実を知らなければならない。だから真実が知りたい――。いつもそう思う。だからこそ僕は僕自身の登山を表現するときにもできるだけ自分自身がそのときに経験していたことや考えていたことを、たとえその時点で感じ方や考え方が間違っていたとしても、僕自身に真実を知らしめるために詳細に描きたいと思う。

僕は山ヤとしてこれまでどうやって育ってきたのだろうか。僕は僕と一緒に登った人から何を学んだのだろうか。これから先僕はどんな方向に向かえばいいのだろうか。そんなことがわかる、あるいは考えられる連載になればいいと思うが、残念ながらさすがに語彙が貧困で伝えたいことをうまく表現をすることができないもどかしさがある。

僕が経験した登山の内容や心理がこのつたない文章でいくらかでも伝わればそれでよしとしなければならないのだろうが、書きながら学び、学びながら書いていく。登山は実行するだけではなく、考えなければ決してうまくはならない。実行して考え、考えて実行すれば、自ずと自分や他人がなぜそんなことをしたのか分かるようになる。もしそれがいいものだと感じればそれをまねればよい。それがいくら考えても理解できないということであれば、それをまねる必要などない。むしろまねれば同じ過ちを犯す恐れがある。

登山は命を懸けたくはないと思っていても、そこに出かけていく限り命がかかる。たとえ登山に命を懸けるつもりはないと思っていても命がかかるものなのである。だからこそ、自分の経験どころか他人の経験までをも貪欲に漁り、それを自分自身の経験の一つとして自分の中に取り入れていかねばならない。そうしなければ思考は深まらないし、経験の幅を広げることもできない。だが、そうしてもなお思いもよらない危険に直面することがあるのが登山なのである。そんな未知の危険に対応できる力を備え、かつ迫りくる危険に対して落ち着いて対処できる山ヤがしぶとい山ヤなのかもしれない。


● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」 2007年度原稿掲載時タイトル

1月号 (1) 白馬岳の遭難から  危険を見極める目、危急時を生き抜く知恵を
2月号 (2) ベテランを問う  その言葉が持つ曖昧さと真の意味
3月号 (3) 死は身近にある……  遭難と真摯に向き合うきっかけとなった二つの体験
4月号 (4) 『日本百名山』の正しい登り方  山を知り、山を味わう姿勢を深田久弥から学ぶ
5月号 (5) 「雪」というものを知った日  あの日の谷川岳はぼくの小さな学校だった
6月号 (6) 「一ノ倉沢の岩壁」  気にかかっていた言葉に興味と憧れを募らせる
7月号 (7) 沢登り  この日本独特の登山から僕が得たもの
8月号 (8) 一ノ倉沢の壁初見参  生きて還ることだけが妙に大きな意味を持つ世界
9月号 (9) 剱岳登攀  未知の岩壁に挑むには総合力がいる
10月号 (10) 沢登り単独遡下降  強い意志に支えられた貴重な経験
11月号 (11) エイドクライミング  疑問の答えを探し出す姿勢が技術や判断力を向上させる
12月号 (12) 夏の歓喜、冬の憂鬱  冬山への得体の知れない恐怖

連載1年目連載2年目連載3年目


● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」一年目の内容

山岳雑誌「岳人」連載一年目の内容は、ちょっと気になった遭難事故の話から書き起こす。自然という不安定な環境の中では危険に遭遇するのは当たり前のことだと思える。だからこそ山に行く者はそこに存在する危険が読めなければならないのだし、そこに出かけていく者はそれらの危険に対処できる知識と技術と体力と経験を身につけていかなければならないのだ。それは職業として山岳ガイドという仕事を選んだ人間には当然身についていなければならないものだろうし、クライアントが誰であろうと、そうしたものによって先が見通せなければならないだろう。

そんな立場の人が簡単に遭難事故を起こしてしまう。それはなぜなのだろう――。詳しく読み解いていけばそこに原因が見えてくるはずだ。まずは自然を素直に見つめて見る――。そんなところから始めてみる。

だが、他人の行動はよほど詳しい情報が手に入らない限り、原因を推量することはできてもなぜそういう行動をしたのか本当のところはわかりにくい。だから自分の経験をもとにしてわが身の登山や登攀、遭難もどきの山行について考えてみようと思う。

その自分の登山は、山登りに誘われ、初めて谷川岳に登った話から始まる。これは1975年晩秋、10月末のことである。その登山を契機に、登山活動を発展させ、岩登りがしたさに山岳会の門を叩いた。今年度は岩登りがやりたくて入った山岳会である埼玉谷峰山岳会で行った登山や沢登りや岩登りの話や、あるいはふらふらと単独で出かけて経験した山登りや沢登りや岩登りの話を交えて書き進めていく。

僕の登山は子どものころの山遊びや川遊びから発したものなので、それをしているのが単独か、仲間と一緒かということにはあまりこだわりを持っていない。そのせいかどうかわからないが、僕は何度か経験して山登りのコツがつかめてくると一人でも山に出かけてしまう癖があるようだ。始めからけっこう単独登山や単独登攀をしているのはもちろん子どものころのそうした下地があったからだろう。

これらの話のもととなっている登山は今から30数年前から30年前にかけてのもので、とても古い話で恐縮だが、もし興味が湧いてきたら、図書館などに出かけて行って山岳雑誌「岳人」を手にとってこのタイトルのページを開いてみて欲しい。ここに掲載したこれらの登山は、年代でいえば1975年から1978年にかけて行ったものである。

僕が埼玉谷峰山岳会に所属していたのは1976年初夏から1978年初夏までの丸二年間だが、今までずっと三年間所属していたのだとばかり思っていた。しかし、三年というのは年数から数えたもので、日時で数えると実質丸二年しか埼玉谷峰山岳会に所属していなかったということになる。これは僕自身もまったく気がついていなかったことだが、その丸二年のうち積雪期は登山から離れていたのだから、山ヤといっても、夏の間だけ行動をするえらく中途半端な山ヤであったことは否めない。

この当時は頑なに冬山を拒否していたのだが、それは本当に冬山に恐怖を抱いていたからである。でもこれらの登山経験がのちに山学同志会で展開した登山の基礎を作ったことは間違いない。今年はそんな時代の登山を見つめていく。

 

● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」各月の内容

1月号 (1) 白馬岳遭難の衝撃
昨秋の白馬岳の遭難事故はクライアントが次々に死んでしまうという悲惨な事故だった。普通クライアントはガイドの言うこと為すことを信じて行動する。行動せざるを得ないといったほうが正しいのかもしれない。もちろんガイドとクライアントを比べればガイドはクライアントよりはるかに技術も体力もある。だから、ガイドが下した判断のマイナス面の影響はガイドよりクライアントに対して如実に現れる。それは時にはクライアントの体力を瞬く間に奪っていく。ガイドには耐えられることでもクライアントにはそれができない。それだけにガイドははるかに先を見据えた真摯な判断をしなければならない。

2月号 (2) ベテランという言葉が持つ曖昧さと真の意味
山で死んでいった人はたいがいベテランだったと言われる。だけど山で死んでいったベテランがベテランらしい生き様や死に様をしていたとは限らない。ベテランという言葉が単に登山経験年数から割り出されていることが多いからだ。一年に十回山登りをする人と十年に十回山登りをする人とでは登山経験年数は十倍も違うが登山経験、登山日数から言えば同じだ。さて、どちらが登山に長けているだろうか。普通に考えればおそらく一年に十回山登りをする人の方だろう。

3月号 (3) 死は都会では遠い存在だが山ではそこここにある
山は都会とは違って天気が悪くなってもすぐに逃げ込める場所などない。縦走でも岩登りでも沢登りでもそれは同じだ。それに高いところにあがれば落ちるのは道理だ。登攀者ばかりか登山者にもどこでも落ちる危険が発生する。落ちればたとえわずかな距離でも死ぬ可能性がある。つまり、自然の中はどこも危険に満ち満ちているのだ。死の影は登山や登攀をする限り誰にも常に付きまとう。山では油断をすれば災難はすぐに我が身に降りかかってくる。それは決して忘れてはならないことだ。

4月号 (4) 日本百名山
深田久弥の著書「日本百名山」は僕の大好きな本の一つである。でもその日本百名山の各文章の見出しに書かれた名前の山の頂だけを目指している人たちの登り方は、当然ながら深田久弥が意図し、目指した日本百名山の登り方とは違う。もちろん深田久弥が日本百名山を味わう姿勢ともまったく異なったものだ。日本百名山っていったいなんだろう。

5月号 (5) 雪にまみえる
九州の山間の盆地の生まれだから案外寒くて冬は厚い氷が張る。池の氷に乗ってはよく叱られていたものだった。だから氷というものは知っているのだが、雪というものはまったく知らない。雪なんて降ることがめったにないから当然だ。東京では三月になると雪が降ることが多くなるが、雪が降って積もってもいつまでも積もっているわけではない。根雪などとは無縁の世界である。だが山は違う。四月に入ってもなお大量の雪がある。谷川岳には膨大な雪がまだ消えずに残っていたのだ。僕はそんな世界があるなんて考えてみたこともなかった。

6月号 (6) 岩登りへの憧れ
谷川岳には一ノ倉沢というところに大きな壁があるらしい。しかもそれは岩登りの対象になっているらしい。子供のころから石垣や崖を攀じ登って遊んでいた僕にはそれは聞き捨てならない言葉だった。一ノ倉沢というところに行ってみたい。そう思っても不思議はなかった。

7月号 (7) 沢登りとの出会い
岩登りがしたくて山岳会に入った。しかし、その山岳会は沢登りを中心に活動をしている山岳会だった。子供のころから山と川で遊んでいたから岩登りはもちろん沢登りにも何の抵抗もなく入っていくことができた。でも沢登りにも危険がいっぱいある。

8月号 (8) 谷川岳一ノ倉沢第二ルンゼ〜Bルンゼ
一ノ倉沢の岩壁を生まれて初めて見た。大きな崖だが、ちゃんと登路があるのが不思議だった。そんな岩壁の中の水辺は不思議な世界だった。その不思議な世界は動植物に溢れ、小さな桃源郷のようにも思えた。目的の登攀ルートを登り終えたあと、桃源郷から頂上稜線まで急峻なルンゼをロープをつけずに登った。だが、一ノ倉沢の岩壁全体のことを考えると急に恐ろしくなった。

9月号 (9) 剱岳登攀・チンネと八つ峰
初めて剱岳に行った。もちろん岩登りをするためである。剱岳は大きくて、岩の塊で、重量感のあるどっしりした山であった。頂上に続く尾根と谷の一つ一つが大きくて威厳があり、登攀ルートはそれほど難しくはなかったものの、すっかり剣岳という山に魅了されてしまった。

10月号 (10) 丹沢水無川・沢登り単独遡下降
子供のころから一人で山をぶらつくのが好きだった。もちろん地形図など手に入れられないし持ってもいない。どこへ行くにも地形図を持ってなど出かけるわけがないのだが、一人で川に行ったり山に行ったりして遊ぶのは日常茶飯事だった。時には岩場で滑落しそうになったり、腰まで浸かって渡渉しようとした急流で流されそうになったりして危ない思いもしたけど、一人で遊びに行くのも遊ぶのも決して苦ではなかったし、嫌いではなかった。むしろ大好きだったのだ。だから、沢登りに慣れると、自然に一人で山に出かけてみたくなった。そこで、かつて出かけたことがある表丹沢に出かけ、地形図やガイドブックを参考にして一筆書きのように沢をつなげ、登っては下りを繰り返した。すべて初めて登る沢を選んだのだけど、とても面白い山行だった。もっとも丹沢には一度しか出かけたことがなかったのだから、皆初めて登る沢だったのは当たり前のことである。

11月号 (11) 筑波山・エイドクライミング単独行
岩登りに行って、アイゼンをつけてエイドクライミングをしてみたら、あぶみがアイセンに絡んでぜんぜん登ることができなかった。それが悔しくて一人で筑波山の岩場に出かけ、エイドクライミングの練習をした。一人で登るというのはいろいろ神経を使う。でもそこから学ぶものも大きい。

12月号 (12) 冬山への恐怖
夏の山はあれほど登りたいと思うのに冬の山にはそれがない。九州生まれで雪というものを知らないから雪山には変に恐怖心があるのだ。だから冬山なんてぜんぜん登ろうとは思わなかったし、その気もなかった。実のところ何度か冬山にも誘われたけど冬山に登るつもりなどさらさらなかったのですべて断っていたのである。夏の岩登りだけで十分だ――。僕は実はそう考えていたのである。

※ 何とか一年目はクリアした。原稿を書くのはやはり好きだな。楽しいし、面白い。二年目の内容はこちら
※ 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」の全タイトル一覧はこちら

※ 批評や批判は大歓迎――違った見方・考え方などがあればいつでも メール をお送りください。

こうした経験を生かして下記のような登山を行いました。
ビッグ・ウォール・クライミング
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)

「しぶとい山ヤになるために」のテーマを考える 1年目〜4・5年目


連載1年目内容連載2年目内容連載3年目内容岳人連載全タイトル文章の誤りについて連載を楽しむために

*

『感謝されない医者』 金田正樹著 山と渓谷社から発売中
僕の足指を治療したドクターの凍傷にかける思いを綴った書です。忘れ難い患者の1人として僕のことについて触れていますが、それ以上に凍傷という病の正しい知識を吸収してもらいたいという気持ちから推薦したい一冊です。書名をクリックすれば推薦文が見られます。

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ヤマケイJOY2007年春号 「山のプロがお薦めする始めての本気登山」で入笠山を推薦しました。
ヤマケイ6月号 「感謝されない医者」の書評を書きました。

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12月は一部書き直しだなあ。繰り返しに気がつかなんだ……。ごめんなさい。1月号もちょっと書き直そうかな。本にするときに。

*

この年末にはグリーンランドの登攀を中心に据えた人間模様を伝える本がNHK出版から出るのだろう。テレビの映像も本もどんなものになるのか知らない。三人の障害者がどんな思いでグリーンランドの未踏峰に挑んでいたのか知りたいのは僕も皆と同じだが、そんな疑問の答えが得られる番組になっているのだろうか。本は11月下旬、あるいは12月初旬には出版されるのかもしれない。映像は、BSでは11月下旬、地上波では12月24日の予定だ。

予定はあくまで予定でどうやらNHKスペシャルの放送は来年のようだ。

ハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」は11月18日19時から放送される。再放送はその翌週。地上波のNHKスペシャルは1月初旬か中旬の予定。

*

グリーンランド関連本の販売は1月下旬。25日の予定らしい。どんな内容の本だかわからないが、ハイビジョン特集をなぞった内容になるのだろう。ハイビジョン特集同様クライマー山野井夫妻という内容なのだろう。山野井ファンは必見間違いない。

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NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」は1月7日22時から。再放送は9日深夜0時10分から。詳しい日時と時間はこのウェブサイトにある下記のようなグリーンランド関連の記事をあたればわかるようにしてあります。

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ハイビジョン特集・NHKスペシャル関連本「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」は1月31日NHK出版から発売される。1680円。

※ グリーンランドの登攀の映像の放送は下記のウェブサイトで案内しています。
ハイビジョン特集「白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻」 <NHKBShi(BS-9チャンネル)
NHKスペシャル「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」<NHK総合(東京は1チャンネル)>
白夜の大岩壁に挑む クライマー&クリエイター木本哲木本哲

※ 批評や批判は大歓迎――違った見方・考え方などがあればいつでも メール をお送りください。

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