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連載を始めるにあたって 全タイトル 山登りを始めたころを振り返って 雑感 四年目以降のテーマ

山岳雑誌『岳人』=マウンテニアリングセミナー
『しぶとい山ヤになるために』<全36回――タイトル一覧>
2007年1月号から2009年12月号まで連載予定 好評連載中


<岳人は毎月15日発売です>

● 岳人連載「しぶとい山ヤになるために」

全タイトル

著者 木本哲著者プロフィール 国内の登山記録 海外の登山記録 著書・著作 映像 Satoshi Kimoto's World

はじめに

もくじ

2007年の執筆テーマ&タイトル  山学同志会所属以前の登山や登攀
1月号 (1) 白馬岳の遭難から  
危険を見極める目、危急時を生き抜く知恵を
2月号 (2) ベテランを問う  その言葉が持つ曖昧さと真の意味
3月号 (3) 死は身近にある……  遭難と真摯に向き合うきっかけとなった二つの体験
4月号 (4) 『日本百名山』の正しい登り方  山を知り、山を味わう姿勢を深田久弥から学ぶ
5月号 (5) 「雪」というものを知った日  あの日の谷川岳はぼくの小さな学校だった
6月号 (6) 「一ノ倉沢の岩壁」  気にかかっていた言葉に興味と憧れを募らせる
7月号 (7) 沢登り  この日本独特の登山から僕が得たもの
8月号 (8) 一ノ倉沢の壁初見参  生きて還ることだけが妙に大きな意味を持つ世界
9月号 (9) 剱岳登攀  未知の岩壁に挑むには総合力がいる
10月号 (10) 沢登り単独遡下降  強い意志に支えられた貴重な経験
11月号 (11) エイドクライミング  疑問の答えを探し出す姿勢が技術や判断力を向上させる
12月号 (12) 夏の歓喜、冬の憂鬱  冬山への得体の知れない恐怖

2008年の執筆テーマ&タイトル  山学同志会在籍一年目 無雪期の登山や登攀
1月号 (13) この道でいいのか……  今後の登山方向への逡巡
2月号 (14) 三つ峠での決断  一期一会の人から知った岩登りの新たな世界
3月号 (15) 新しい世界を求めて  集会の熱気の渦に巻かれ山学同志会の一員に
4月号 (16) 山学同志会での初山行  合理的で洗練された岩登り講習システム
5月号 (17) 越沢バットレス  充実した岩登りを楽しみ、学んだこと
6月号 (18) 三つ峠日帰りクライミング  山学同志会に骨を埋めてもいいと思った日
7月号 (19) 三つ峠中級岩登り講習会  納得のいく山行のための一つの関門を抜ける
8月号 (20) 山は常に学びの場である  未知の場所、条件に通用する術をどう身につけていくか
9月号 (21) 時には苦を求めることも必要である  穂高岳〜槍ヶ岳連峰縦走夏山合宿
10月号 (22) 瑞牆山十一面岩登攀  道具が生み出す新たなクライミングスタイル
11月号 (23) 一ノ倉沢烏帽子沢奥壁トリプルダイレクト  「烏帽子岩、登れるだけ」先輩に導かれた中身の濃い一日                                           

12月号 (24) 衝立岩雲稜第一〜コップ正面壁雲表継続登攀   技術が伸びるとき志向が定まっていくとき

2009年の執筆予定のテーマ  山学同志会在籍一年目 無雪期〜積雪期の登山や登攀
1月号 (25) 下山してこない仲間たち  万が一のときは…谷川岳集中登山の教訓
2月号 (26) 一ノ倉沢と幽ノ沢の継続登攀  新人と先輩の力量は一日の登攀量の差に現れる
3月号 (27) 冬富士講習会  冬山登山の扉を開く総合力養成登山
4月号 (28) 難しいから面白い  冬季登攀の扉を開いた越沢バットレスアイゼントレ
<執筆中>
5月号 (29) 谷川岳一ノ倉沢衝立岩中央稜冬季登攀     4月中旬発売 氷雪は夏山以上、想像以上の難しさを作り出す
6月号 (30) 穂高岳屏風岩冬山合宿            5月中旬発売 長く山を登っていれば「雌伏の時」もあるだろう
7月号 (31) 西沢渓谷アイスクライミング講習会      6月中旬発売 氷は割合簡単だ。しかも面白く、はまってしまう
8月号 (32) 甲斐駒ヶ岳黄連谷左俣冬季登攀        7月中旬発売 氷雪は山にこんなをもたらすが、登り甲斐も増す
9月号 (33) 八ヶ岳横岳西壁大同心雲稜冬期登攀      8月中旬発売 冬の岩登りは面白いが死は夏山以上に身近にある
10月号 (34) 谷川岳滝沢第三スラブ冬季登攀       9月中旬発売 冬山登山にはいろんな要素、いろんな危険がある
11月号 (35) 八ヶ岳三月合宿             10月中旬発売 力がついてきた?それでも知らないことばかりだ
12月号 (36) 進取の気性<未定>           11月中旬発売 同志会の一年を振り返り、考え、明日を見つめる

あとがき

書きあがった原稿を再度推敲し、
書き直すべきところは書き直して、
単行本として出版する方向で考えよう。
ハードカバーにならんものかなあ……。

※ この連載の内容についてご意見・ご質問がございましたら メール をお送りください。

こうした経験を生かして下記のような登攀や登山を行いました。
 

自己紹介(木本哲登山および登攀歴)……山学同志会在籍一年目に培った技術を基礎として実行した初登攀〜第3登を中心にまとめた
木本哲プロフィール(「白夜の大岩壁・オルカ初登頂」のページから)……公開を取りやめています
僕のビッグ・ウォール・クライミング小史……公開を取りやめています
「目次」を参照してください
Satoshi Kimoto's World(木本哲の登攀と登山の世界)……海外の山もさまざまなところへ登りに出かけました
しぶとい山ヤになるために=山岳雑誌「岳人」に好評連載中……登山開始から山学同志会在籍一年目までの山行で学んだこと感じたこと



● 新人時代

どんな内容にするか考える十分な時間がないまま一本の電話からいきなり始まった連載である。
実際、連載の原稿を書くことを引き受けはしたものの、原稿の締め切りを聞いて驚いた。
実は二週間余の間に二本の原稿を書き上げねばならなかったのである。
最初の原稿の締め切りは10日後で、二本目の原稿の締め切りはその5日後であった。
実のところ、連載の内容をゆっくり考えている暇などなかった、というのが現実だったのである。
とにもかくにも引き受けてしまったからには原稿を書かないわけにはいかない。
見切り発車もいいところだが、
一息ついて考える時間ができたところで、ようやくどんな内容にするか考え始めた。
タイトルから言っても、山を登り始めた初期の話を文章にするのがいちばんいいのだろう、と思えた。
そこで、僕は僕の新人時代といえる、
山を登りを始めてから4年ほどの間に行った登山や登攀の中から題材をピックアップし、
僕がどんな登山や登攀を行ってきたかを書くことにした。
4年といえばかなり長い期間であるが、
山行にかかった日数にすると、およそ200日の登山や登攀に当たる。
200日というとずいぶんな日数だが、
一年当たりに換算するとわずか50日。
1ヶ月当たりにすると4日、およそ週に一回の計算になる。
こう考えると、4年間で200日というのはたいした山行日数ではないことがわかる。
この山行日数は、毎週末の土日や祝日、盆暮れ正月にせっせと山に出かけている人なら2年で余りある日数である。
これは僕が山登りを始め、
山登りに興味を抱き、
山を知り、
山にのめりこむようになるまでの期間であるから、
内容的にもちょうどよいのではないだろうか、と思えた。
実際、この期間の登山や登攀というのは、
山登りをよく理解していない段階からようやく自分の山が見え始めた段階に当たる。
ある意味いちばん事故を起こしやすい危険な時期の登山や登攀でもある。
これは、僕にとっては人に誘われて山を登り始めて1年、
埼玉谷峰山岳会という山岳会に入って2年、
さらに山学同志会という山岳会に入って1年、という4年にわたる登山や登攀に関する話である。
僕の登山や登攀を文章にする期間は4年であるが、
実のところ、この間の山行日数は前3年が83日、後ろ1年が120日あまりで、
登山活動や行動内容には大きな隔たりがある。
このうち、山学同志会に入るまでの3年間の登山日数は83日だが、うち冬山の登山日数は3日である。
その3日も2日はスキー場の脇にテントを張っただけ、
行動した1日もスキー場のほんの少し先までしか行ってないから何をかいわんやである。
実は山学同志会に入るまで冬山など経験していないに等しいのだ。
実のところ残雪期の山を含めても二週間あるかないかというくらい雪山とは縁がない。
実際のところ冬山のように危険な山に出かけるのは怖かったし、
藪山で育ったせいか雪山にはまったく興味がなかったのである。
だから、冬山を登り始めたのは山学同志会に入ってからということになる。
この前3年の登山経験を生かして山学同志会1年目の山行をこなしていったわけだが、
こんな具合に山行を展開してきた僕が、
「しぶとい山ヤになるために」いったいどのような登山や登攀を行い、
その山行を通してどんなことを考えていたのか――。
そして、そういった山行を積み重ねてどんな具合に成長していったのか――。
自分自身もそこに興味の目を向けながら文章を書きおこしていこうと思う。
山を知らない時期の話だから変な行動もたくさんあるのだが、できるだけありのままに描きたいと思う。
山は遭難事故が起きやすい場所である。
これまで山で死んだ仲間や知り合いの数を数え上げえると膨大な数になってしまうが、
幸いにして自分は小規模な事故には何度も遭遇したが、今もまだ生き続けている。
そんな自分が積み重ねてきたた登山や登攀のほんの一部だが、
その後の登山の基礎となったぼくの新人時代の登山をここに紹介する。

※興味が湧けば図書館にでも出かけて一度岳人を手にとって読んでみてください。
2007年1月号から2009年12月号まで連載します。



● 山登りを始めたころを振り返って

初めて谷川岳に登ったときの感動は忘れられるものではない。
何しろ雨が降って、ガスに巻かれ、景色なんて一つも見えなかったのだから。
おまけに寒くて、眠くて、熊穴沢避難小屋で雨宿りをしながら、
持っている衣類をぜんぶ着込んで雨が止むまで昼寝を決め込んだ。
まだ午前中の早い時間帯だったから朝寝というべきかもしれない。

でも、この登山、もし頂上で周囲の景色が見えていたらどうだったろう。
果たしてここまで山登りに興味を持ったであろうか。
まあ山なんてこんなものじゃないか――。
その程度の感覚で終わってしまっていたかもしれない。

谷川岳の頂上を離れ、天神尾根を下り、熊穴沢避難小屋で雨宿りをする。
いわお新道を下る計画だったが、雨の中を急いで下る必要はない。
そこで僕たちは持っているものをすべて着込んで雨が小止みになるまで朝寝をしようと決め込んだ。

一寝入りしてもまだ雨が降っていたが、もう一寝入りすると雨が止んでいた。
おかげで熟睡し身も心もさっぱりした。
僕たちは雨上がりのいわお新道を谷川温泉へと下った。
雲間から光が漏れる雨後の景色は懐かしいものだった。
天気が悪かったからこそそこに昔感じていたのと同じ自然を感じることができたのだと思うし、
めまぐるしく変わる景色が昔の記憶を呼び覚ます走馬灯のように思えたのかもしれない。

山学同志会に入って山を学ぼうと努めていた当時のことを思い出すと、
山学同志会の山行はどれも皆面白かったな、と思う。
なんだかんだといっても自分の好きなことばかりやっていた気がするし、
そうすることができた自由闊達な山岳会だった。
今の言葉で言えばまさに自己責任でやるなら何をやってもいいという熟成された世界の出来事であった。

自分で計画を立てて、仲間を募って実行する――。
山登りはそうするのがいちばん面白いと思うが、
そうすることができた山岳会であった。

同じ時代を生きた人たちがさまざまな山で亡くなっていったけど、
誰も彼も真剣に山を登っていた。
この本にそんな人たちの名前を残しておこうと思ったのも事実だが、
そうした人たちからももちろんさまざまなことを学んだ。
僕は僕一人で成長してきたわけではない。
そういった人たちがさまざまなことを教えてくれたし、
山に連れて行ってくれたからこそ僕の今がある。

山登りを始めたころ、
最初はまったく体力がなかった。
だって歩きながら眠っていたくらいだもの。
だけど登っているうちにだんだん体力がついてきた。

山学同志会に入った当初はやはり全然体力がなかった。
ついていくのが必死だった。
でも岩登りがしたかったからそれに必要な体力をつけようとさまざまなトレーニングをした。
走ったり懸垂をしたり。
懸垂はしまいには片手懸垂ができるようになった。

岩を安全に登るためにはそうするしかなかったのだ。
でもそれは山を安全に登ることにも役立った。
山登りより岩登りがしたかったのだけど、
結果は両方ができるようになった。

ただただ岩登りがしたい一心で努力をした。
その気持ちこそがだんだん体力をつけさせ、技術をつけさせた。
心肺能力が高まり、筋力がつき、ひきつける力が高まった。
それと同時に実力ある先輩に引っ張ってもらったことでさまざまなルートを登ることができた。
考えてみればここに取り上げた山行は自分にとって初めてのエリア、初めてのルートで行った山行が多い。
知らないところに行くのが好きだったからそれもよかった。また楽しかった。
でもだからこそさまざまなことを体験した。

学んで、次は自分たちで登る。
そんな繰り返しだったかもしれない。
最初は見よう見真似、
でも次は自分たちの力で登ってみる。
何しろクライミングというのは自分でリードするのがいちばん面白いと思えるスポーツだから、
リードしないことには本当の面白さは味わえない。
フォローとリード、そんなことを繰り返しながら基礎的な力と応用力をつけていった。

これは登山を始めてから四年間の山行である。
登山を始めてからちょうど山学同志会の一年目を終わり、二年目にさしかかるまでの山行である。
この山学同志会の一年目に蓄えた力を生かして、
山学同志会二年目、三年目、四年目へと続く登山や登攀を行った。
もちろんすべて自分で計画を立てて実行した。

この原稿を書いているといろんなことが思い出された。
一つ一つの山行が皆学びの場だった。
一度体験したことは皆スタンダードになった。
そんな基礎があるから、
こんなことができるならあんなこともできるだろうと考えられるようになる。
山登りは、特に岩登りはすごく楽しい。
今でもそう思う。

長い間ご愛読ありがとうございました。
といっても、実際のところはまだあと一年四ヶ月ほど頑張らねばならない。
少なくともあと九つは原稿を書かねばならない。
本当に長いものだなあ。
中にはこれ、なんか違うなあ、なんて思って書き直していて筆が止まってしまい、
書けなくなって泥沼にはまってしまったものもある。
そんなときは、今回はうまく書けなかったなあ、くそーっと思ったりもする。

ところで、考えてみたら岳人に連載していることって皆三十年も前の話である。
この当時はまだゴアテックス製品はなく、
実際にはゴアテックス製品が出る直前だったのだと思うが、
冬山に使うオーバージャケットやオーバーパンツはナイロン生地のダブル仕様、
いわゆるダブルヤッケと呼ばれるもので、
撥水加工がしてあったが、
万が一雨が降ったら中まで浸透してきて肌着までびしょ濡れになるようなウェアであった。
僕はそんなウェアで冬山や春山に行っていた最後の時代の人間である。

もしウェアが濡れて風が吹けばあっという間に凍り付いて死んでしまうような装備だもの、
この当時は今よりはるかに死ぬ条件が整っていたというべき時代だったのである。
だから遭難して死ぬ人も当然のように多かった。
でも僕たちは皆こんな装備で山を登ってきたのである。



⇒山岳雑誌「岳人」連載=しぶとい山ヤになるために」は2009年度を持ちまして終了の予定です。3年間ご愛読ありがとうございました。終わりの挨拶がだいぶ早いけど……。

*

● 三年目に突入

原稿は三年目も続けて書くことになった。実際のところ二年目では区切りがつかず、山学同志会一年目の途中までしか描けないという状態になってしまうので僕にとっても好都合な展開だ。今は三年間、山学同志会の一年目が終わるところ、あるいは二年目の始めまで書いて本にできればいいと思っている。山学同志会の二年目以降を書き始めるとその先一年では終わらない。いずれにしろ深く入りこんでしまうと中途半端になってしまうので、山学同志会一年目、あるいは二年目の始めで終わるようにする計画ですすめている。これは結局、僕が山登りを始めて二百日。多くても二百十日から二百二十日目くらいまでの山行の話となる。山を登り始めてから山学同志会の一年目まで、ちょうど新人時代の話なのでテーマにもちょうどいいだろうと考えている。

「しぶとい山ヤになるために」のテーマを考える 1年目〜4・5年目

白夜の大岩壁に挑む クライマー&クリエイター木本哲木本哲
山登りって何だろう――。対象の山を登ったすぐというのは案外興奮しているからその登山を素直に見れない部分もある。だけど、日がたつと気分も落ち着いてくる。それにつれて冷静に登山を見直すことができるようになる。最初は走り書きに似たような内容かもしれないが、時折その記録を読み返して書き直していると、やがてそのときの真実が見えてくる。そんな変化を経験すると、文章は書いておくべきだな、と思う。「しぶとい山ヤになるために」を書いていてもそう思う。書いていれば、そこから新たな記憶が掘り起こされることがある。また新たな発想が生まれることもある。だが、それを HPで公開するかどうかは別の問題だ。実はそれを公開する必要などまったくない。でも書いてあればこそ新たな記憶や考えをもとに真実や感想を書き足したり、間違った記憶や発想を基にして書いた文章を書き直したりすることができる。山は登るという作業とともに、登ったあとには考えるという思索の時間がある。山って何度でも楽しめるものなのだな、と思う。

※ 批評や批判は大歓迎――違った見方・考え方などがあればいつでも メール をお送りください。

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