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一度山行を経験して自分なりに考え、分析し、理解し、納得したら次はそれを自分で試してみる。そんな形で行動しているのが僕かもしれない。だけど考えると言うのはとても面白い行為だし、試してみるというのもとても面白いことだ。考えることも大切なのだが、登山はそれを試して自分のものにしないことには次につながらない。考えるという段階まで行う人はかなり多いのかもしれないが、それを分析して試してみるという段階に踏み込むのはぐっと少なくなるのだろう。「しぶとい山ヤになるために」に対する反応を見ているとそんな気がする。それは命の存続とも直結している問題だから当然だろう。しかし、そこまでやらないと自分の命の成り行きを想像するのは難しい。そこまで踏み込めば技術や体力が持っている意味も、精神力が持っている意味も自ずと分かってくると思うのだが、そこまで踏み込んでみたらどう?と簡単に言うことはできない。そこで間違えば死んでしまう可能性が高いからだ。

おそらくそれをサポートできるのがガイドなのだろうが、ガイド山行の事故の多さを見せつけられるとガイド自身の登山経験というのがまた信用できなくなる。実際クライアントをサポートするガイドの本当の経験というのは登山記録には現れてこない。どこそこの山を登ったという記録はあってもどんな山登りをしたのかがわからないし、伝わってこない。それに山登りというのは成功をした登山より失敗をした登山の方が学ぶものが多いし、大きい。ガイドになりたいあるいはガイドになる前の登山者がそこから何を学んだのかはまったく分からないのだ。実際のところ登山経験そのものから得たものはピンキリのはずだから事故の発生を抑えるガイドの力も表示されている登山経験とは裏腹にピンキリであろうと思う。危ないから登りに行かないという姿勢ではそんな力が養えるはずはないだろうからガイドの登山経験を知るというのは本当に難しい問題だろう。日本ではクライアントがたくさん死ぬが、アルプスではガイドの方がたくさん死ぬ。ガイドがいろんなことを試してみたり、山行経験を重ねようとしてその途中で死んでしまうのである。だから逆に質の高いガイドがたくさんいるということになる。ガイド間の力の格差が少ないのだ。

さて、今、その考えるという行為は解剖学に向けられている。その裏には体の故障とリハビリの意味を理解したいからという理由がある。今になってアメリカで講習を受けようとした本を見返すと――実はえらく分厚い救急の本でほんの一ページ読むだけでも専門書と格闘しなければならないほどのものだから写真を見ているだけなのだが、かなりどぎつい写真がたくさんある――、ちゃんと勉強しておけばよかったなと思う。でも、リハビリを行いつついろんな本を見ていると、僕たちは普通にリハビリや筋トレという言葉を使うけど、実際のところは、筋肉だけではなく、靱帯や神経や腱にまで思いを至らせないとだめなんだなと思う。それは体は筋肉だけで動いているわけではないと言うのが実によく分かるからだ。しかし、考えてみるとこんなにまじめにトレーニングを行うのは久しぶりのことだ。裏を返せばそれだけ体調がおかしかったということでもある。実際、この二年間は特にひどかった。そんな体調でも未踏の岩壁を登れてしまうから余計放っておくことになったのだろうが、今は本当にまじめだ。まじめにリハビリとトレーニングを積み重ねている。冬、パチンコに行きたいもんなあ。しかし、こんなにひどい体が再生するということは誰にも希望があるということでもある。それは歳はあまり関係がない。それはやる気があるかどうかということだし、その環境を整えられるかどうか、そして実行するかどうかだ。実行すれば少しずつ体力は上がっていく。

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気持ちいいくらいに全身疲労の日々が続いているが、リハビリ&トレーニングは一つ山を越えた。そんな気がする。梅雨が明けたらちょっと大きな挑戦をしてみよう。今は雌伏の時だが、その前にプチ挑戦をしてこよう。こないだの山行のリベンジをしないことには気が収まらない。こういう気持ちが起きてきたこと自体がこれまでとは違う進化を感じさせる。

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リハビリとトレーニングは筋肉を鍛えることに主眼を置きがちだが、筋肉を強くするだけではだめで、筋肉を柔らかくするストレッチも欠かすことができない。今まで生でクライミングをする姿を見ていてただ一人上手だなと思ったヴォルフガング・ギュリッヒの体つきも筋肉もそんな強くしなやかなものに見えた。90年代初頭に5.14を超え、5.15に迫るレベルに達していた登攀技術はやはりすごいし、すばらしい。そんな筋肉が欲しいものだと思うが、足の指がないばかりに気持ちは少し腐り勝ちになる。でもそんな気持ちでいてはクライミングは一向にうまくはならないだろう。気持ちを新たにして困難に取り組もう。それにしても、困難なルートを登攀するために彼が編み出したトレーニング方法がまたすごい。今、彼のトレーニング方法は広く普及しているが、クライミングジムがなかった時代であることを考えるとトレーニングもしようだと思う。まったく届かないレベルだが、少しでも彼に近づけるように努力をしよう。

心が前向きでないと技術や体力は上がらない。小さな力で行うリハビリからトレーニングへ、そしてさらに困難を目指した大きな力を必要とするトレーニングへ。下半身が何とかなるまえに上半身を鍛えておかねばならない。この秋から冬は難しいルートを登りに行って技術と精神を鍛え、次の冬こそパチンコをしよう。二年がかりの体作り計画だ。

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東京特許許可局――。ホトトギスが盛んに鳴いている。カッコウやホトトギスやツツドリはどれもからだのつくりが似ている。棲息環境はどのくらい違うのだろう。彼らは皆他人の巣に卵を産む。育てるのはもっと体の小さな鳥だ。この一連の鳥だけではなくジュウイチも托卵をするらしい。

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筋肉は強くなければだめだけど、強いだけではだめだ。筋肉を鍛えたらそれ相応のストレッチをして柔らかくしなくてはならない。柔らかければけっこういろんな体勢で力をかけることができる。いい筋肉を持っていても柔らかさがないとうまく岩を登ることができない。そういった意味では5.9から5.10bくらいのグレードは面白いグレードだよな。このグレードは力と柔らかさがあればすぐに上達する。この一月だか一月半でクライアントの動きが非常によくなってきた。考え過ぎるな。クライミングは意のまま、思うがままというのがいちばんいい。ホールドはどこそこを使わなければならないとあらかじめ決まっているわけではない。使いたいホールドはすべて使ってもかまわない。しかし、中には今の自分の力に合わないものもある。ところが力がついてくると使うホールドも変わる。今は使えるものはすべて使いながら自分のスタイルを作り上げていくときなのだから小さくまとめることはない。

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原稿が進まない。困ったことだ。先月の原稿にも別の表現ができるのではないかという引っかかりがある。まあ、それはそれで実際にもう一度読んでみて本にするときに手を入れればいいことだが、今月の原稿をどう書くか。核心を書く段階で気が乗らなくていやになっちまう。でも、当時は本当に難しいルートを登りたいとしか思っていなかったような気がする。原稿を書いているとそれがよく分かる。そしてそれは手も足もでないまったく登れないルートではないという意識があった。登ろうとすれば登れるのだ。登ろうとすれば登れるように努力するからなのだが、その気持ちが今も続いているのがまた面白いことだと思う。

そういう意識が他人が考えたルートがやさしすぎると反発する気概を作るもとになってもいるんだろうなと思う。それは、このくらいの力があると言うならこのくらいのルートは登れるだろうという考えが自分の中に形成されていて、それが確立されているからである。僕の中では登攀能力とグレードのイメージが密接に繋がっていて、そのくらい登れるならこのくらいは登れるはずだという思いがある。それができないというのならそのグレードを登れるとは言うなと思うのかもしれない。結局のところは、フリーが登れたからって喜ぶのは早いってことなんだよな。アルパインではその技術をどう生かせるかが大切なことなんだ。それを生かせなきゃフリーでそのグレードを登れてもあまり意味がない。そこまで登れるならもう少し努力せんかい。努力もせんで登れるわきゃないだろうってことなんだろうなあ。きっと。

でも、その努力は小さな努力でいいんだよな。努力をすれば必ず上手になるのだから。ちなみに左肩が筋肉痛だ。今行っているこのリハビリ&トレーニングは大きな効果があるようだ。トレーニングをすればするほど体の悪いところが浮かび上がってくる。でも、努力をするってのは面白い。それはリハビリも筋トレも本当に効果があるものなのだと明らかに知っているからなのだろう。

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情報として頭に入ってきたものは大脳皮質の前頭連合野で処理され、そこで得たものは大脳基底核尾状核に蓄積されて直感を生む源を作るらしい。ここは行動の習慣化を司っているそうだが、どうやら行動だけではなく、思考の習慣化も担っているらしい。ここで行動や思考が記憶として蓄積され、判断に利用されているようだ。ここはプロもアマチュアも同様に働いているから直感は別の場所が作用しているのではないかと考え、脳が活発に動いている部分を探したところ、嗅周皮質や網様体が活発に動いていたそうだ。ニュースでちらと見ただけだからここに書いてあることが正しいかどうかよく分からないが、週末土曜日8時からのNHKは見ものの気がする。それにしてもニュースで番組の宣伝をするとは。

ところで、僕がこれまで山で困難に遭い、そのたび生き抜いてきたときに生じていた直感なんかも子どものころから長年にわたって蓄積された経験が生み出したものなのだろうなという気がする。クライミングのオンサイト時に必要な直感もそんなことなんだろうな。繰り返し学び、動きが自動化されると、やがて手でつかんだホールドに対して体が自動的に反応してホールドが使える位置に体をもってくるようになるが、そいつが自然にできるようになった状態がセンスがいいってやつだろうし、岩を一目見てどう登ればいいかわかるのは経験と直感の双方が働いているからだろう。

クライミングジムと同じで外で行う岩登りもやがてホールドを見るか触ればすぐに体をどう動かせばいいか分かるようになる。いずれにしても本人に興味と向上心がなければそんな力は身につかない。だから興味と向上心は決してなくしてはならないものだと思うし、岩が好きなら決してなくなりはしないだろうと思う。これはモチベーションとも深い関連がある。

行動の習慣化、思考の習慣化というのは毎日3時間、集中してやる必要があるそうだ。努力は持続させないと意味がないというのはどこの世界も同じらしい。結局、小さな努力を毎日するというのが大きな力を生む源を作るようだ。リハビリ&トレーニングも今後のクライミングにとってあながち悪いものではない。

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こないだニイニイゼミが鳴いていた。今日もその鳴き声が聞こえる。梅雨もそろそろ終わりかな。だといいのだけど。でも、それまでにはもう少し時間がありそうだ。

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ヒグラシが鳴いていると言う話をきいたのだが、ここらではまだ聞いていない。変だなとは思っているのだがどうなっているのだろう。朝晩が寒すぎるのかな? いないわけはないのになあ。

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