季節は巡る。そしてまた夏が来た。グリーンランドの未踏峰の登攀からやがて二年が経つことになるが、体はその出発直前のけがからようやく立ち直りつつある。「どうせまた無理したんでしょう」という久しぶりに会った旧来からのクライアントの言葉に「まあね」と答えるくらいしかできなかったが、一年半ぶりくらいに行う天王岩でのクライミングは前回、二週間前のクライミング時と違ってずいぶん快調だった。前回は力なく最後は正対ぎみだったが、今回はだいぶ力がついていた。一度やれば体はかなり戻る。少しずつ筋肉にひねりの力を加え、回復をより確かなものにしていこうと思う。今年の冬もまた米子不動の氷瀑を登りに行きたいし、登りに行かなければならないのだから悪いところはしっかり治しておかなければならない。
しかし、リハビリの効果というのはとても正直なものだ。体がさまざまな状態に対応できるようになるまで時間を必要とするが、時間をかける気持ちさえあれば確実に筋力や機能は向上し、さまざまな動きができるようになっていく。リハビリからトレーニングへ――。傷めた体を治し、リハビリをもっと大きな目標を見つめた登攀に向けたトレーニングに転換していくのはとても時間がかかることだし、実際のところ時間をかけて行った方がいいのだと、今は思っている。それでも確かな進歩が感じられるのは嬉しいことである。老体も捨てたものではない。70歳までは鍛えれば筋肉は発達するという医者の言葉はもちろん嘘ではないだろうし、それを実感もする。山が、岩が、登りたければその目標に向かってトレーニングをすればいい。願いを叶えるというのは実に単純なことだ。
だがその単純な行為には、思い切り頑張る必要はないものの、地道な努力がいる。その地道な努力さえ厭わなければ、だれでも必ず夢を叶えることができるだろう。傷が深過ぎて、傷が回復するかどうか疑心暗鬼だったが、今は自信を持ってそう断言することができる。ちなみにこのリハビリは11月ごろに5.12が登れるように持っていきたいと考えているのだが、甘い考えだろうか。今月から下半身はリハビリ、上半身は筋トレをすることにしようと思っている。もちろんストレッチもしなくてはならないだろう。何しろ二箇所の骨折と筋挫傷を負ったままグリーンランドの登攀に出かけたために体のあちこちに無理をかばう筋肉がつき、しだいに不要になってきたその筋肉のおかげで体がとても硬くなっているのだ。今はかばい筋から正常筋への移行期だ。おかげで変な疲れがある。
今年二回目、二週間ぶりの天王岩クライミングは、クラックジョイ、始祖鳥、勉太郎音頭、ビルバーナ、ミンミン、ノーリーなどをマスタースタイルで登る。この日は計11本登攀。とりあえず5.11を10本リードして登れるようにしないと話しにならんなあと思っている今日この頃である。でも、だんだん岩を登ろうという積極的な気持ちが湧きはじめてきたし、実際以前よりはずっと自然に登れるようにもなってきた。気持ちの上でも体の回復が鮮明になってきたようだから本当にグリグリを探さなくてはならない……。どこにいったろう。僕のパートナーは。でもこのパートナーが見つかると登り過ぎてしまう状況が生じる可能性が高い。
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登山というのは面白いもので可能性を疑わなければどんどん伸びていく。かつ伸ばしていくことができる。どんどんというのはもちろん時間をかけてということだけど、最初から諦めてしまったら何もできない。どうも僕がやることやっていることは突飛なことのように思われ勝ちだが、自分の中ではそんな突飛なことをしたことなど一度もないのだ。自分というものをよく知っているからどうすればどうなるかが予想できるのである。だからこそ無理はしないし、それを基礎に一歩進んだ考え方をすることができるのだ。でも、それには経験が要る。ちょっと来週あたりカモシカ山行でもやってみよう。奥秩父全山縦走は何時間くらいかかるかな? こうすることである程度体の回復具合に目安をつけることができるだろう。
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僕はグリーンランド出発直前のけがに苦しんでいるが、山野井はグリーンランド帰国後のクマの襲撃のけがに苦しんでいる。クマに鼻をかまれて通気が悪くなった状態を改善する手術したようで、10日間の短期入院後もはや退院して自宅療養しているのだろう。頭部の手術だから運動を開始するには多少時間が必要だろうが、以前よりはずっと呼吸しやすくなったに違いない。人それぞれ人生いろんなことがあるものだ。
やがて梅雨だが、このところ太陽の活動が弱まっているらしく、研究者は小氷河期に入るんじゃないかと言っている。気温が下がれば近場でもアイスクライミングができるななどと暢気に構えているのは僕だけかもしれないが、地球はずっとそうやって変化しながら歴史を刻んできたのだから、そうなればそうなったでその状況を受け入れるしかないだろう。でも悪いことばかりではない。そうなれば奥多摩の三頭山のブナの世代更新がなされるだろうから。
植物学者牧野富太郎は高知の人だったんだな。知らんかった。房総とか静岡あたりに行くと照葉樹林が目立って青梅あたりとは樹種の違いが目立つが、何だか気持ちが落ち着きもする。こんなときは僕も南国生まれの人間なんだなと思う。高知でも照葉樹林が主体なのだろう。牧野富太郎のお弟子さんが牧野富太郎の植物観察の話を本にしているのだが、牧野富太郎は案外いい加減だったと言うような文章がそこここにあったことを思い出す。いい加減な方がお弟子さんたちがしっかりするのかもしれない。
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初めて『極北の大岩壁』を見たら怖くて緊張して固まってしまったというのは新鮮な感想だ。そんな感想を聞くのは初めてだが、実際のところはそういうものかもしれない。二度目は、北極圏の夢のような素晴らしい環境とクライマーの複雑な表情が強く心に残ったということだが、それも当然なのだろう。この岩山に挑戦してこの登攀から得たものは一人ひとり皆違うはずで、それがそれぞれのクライマーの表情を形作り、それぞれの人や登攀そのものを描き出す。そして、そうしたものや登攀を支援してくれたイヌイットとの関わりそのものがこの番組を見る者の心に何かを訴えかけてくるのだ。それが何かは見る者の立場によって異なるのだろうが、そんな訴えかけが国際的な賞の獲得につながったのは確かだろう。そして、ある人にとってはそれが現地を見てみたいという動機につながっているのも確かなことなのだろう。同じ作るならこのような登攀の番組を作りたい。
この番組、自分が表に出るつもりはまったくなかったのだが、話の作りようがなく、結局僕が表に出ることになってしまったという経緯がある。単にいい番組を作ろうと思ってこの岩山を登りに出かけたので残念なことだし、変な感じもするが、そんな感想を聞かされると、この番組をもう一度見てみようかなという気になる。でもこの人、『白夜の大岩壁』を見ているはずだけど、『白夜の大岩壁』にはそんな感覚が生じなかったのだろうか。今度聞いてみよう。
そうは言っても二つの山は岩壁の傾斜や気象条件がまったく異なるから、そういう感覚になっても不思議ではない。一口に北極圏と言っても少しでも時期が違えば岩壁の表情や難しさも大きく変わる。NHKオンデマンドで『極北の大岩壁』が視聴できるようになったら二つの登攀番組を見比べることができるようになるが、いったいどんな感想がでてくるのだろう。ある意味楽しみでもある。ちなみに今日のバフィン島クライドリバーの天気は晴、気温は−3℃。ウォーカー・シタデルはそこより北に位置する。6月初旬でもまだまだ雪が降る。ここはとても寒いところなんだよな。でも、6月も半ばになると時おり気温が上がり、雪崩の音がこだまするようになる。この地域にも本格的な春が到来するのだ。−10℃に下がることもあるこんな気象条件の中で僕たちは岩壁を登っていたのである。
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『白夜の大岩壁』はヤマケイだもの……。分かったような分からないような意味深な答えで一般視聴者には分かりにくい表現だろうが、僕はなるほどねと思ってしまった。同じ登攀番組でも番組の見方そのものがぜんぜん違うんだね。『白夜の大岩壁』と『極北の大岩壁』――。どうやらこの二つの登攀番組は最初から見比べてはならないもののようである。
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やがてホタルが飛び交う時期だ。といってもこういうときのホタルはたいがいゲンジボタルのことで、ゲンジボタルは淡い緑色の光を瞬かせながらゆらゆらと飛び交う。関東では6月下旬からが見ごろだ。でも、今年は少し早まっているらしい。関西からの報告はそんな傾向を表している。このあたりでも少し早まるのかなと思っているのだが、時期が近づいたら早めに水辺に行ってみた方がよさそうだ。そんな思いの中、ヒメボタルの記事を見ていたら、無性にヒメボタルが見たくなった。このヒメボタルは5月下旬から飛び始め、今頃が活動の中心らしい。このヒメボタルはまたヌカボタルとかシマボタルとかいうらしいなどの情報も得たが、一度も見たことがないからよけい興味をそそられる。ヒメボタルの活動域は地域的、部分的で、生息地が限られていて見るのは難しそうだ。しかし、強い興味に衝き動かされてヒメボタルを見に行った。
ヒメボタルは体が小さいが、光は強い。そんな情報も得ていたが、確かにそれはまるで電飾のようであった。それは、きっとこの時期、草原や樹林帯にクリスマスの飾りのような小さいが、強い光を放つ電飾を張り巡らせているに違いないと思わせるような光景であった。しかしこの光がそれとはまったく違うとはっきり分かるのは光の点滅と同時にあちこちに移動する強い光も見えるからである。遠くにいても輝きが強いからまるでそこここに電飾があるかのように見えるのだが、このヒメボタルの光は強いせいなのか、発光色は黄色ががった白っぽい光であるから余計そう見える。土地のおばあちゃんらしき人は、このホタルはキンボタルとも言うのだとおっしゃっていたが、まさにその通りで、このホタルの光は黄金色に輝いているかのような気品ある眩さがある。このホタルこそ数を集めればその明るさで文字が読めそうである。ところで、このおばあちゃんはまた、ヌカボタルはお盆のころに飛ぶ、とも話していた。ヒメボタルとヌカボタルって発生時期が違うのだからどう見ても違う種類なんじゃない!
幸いにホタルの光を奪う月は雲に隠され、ヒメボタルの眩い光を心行くまで堪能できた。それはもう一度見てみたいと思わせるに十分な幻想的な光景であった。ヒメボタル観察者に大人が多いのはこのホタルの出現時間がとても遅いからである。でも子どもが見たらとても感激することだろう。こうした甲虫を守るにはできるだけ環境を変えないようにしなければならない。環境が変われば餌がなくなり、餌がなくなれば必然的に滅ぶ。自然は強そうに見えるが案外脆い。
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どうやらヌカボタルというのはヘイケボタルのことらしい。このあたりではお盆のころに発生するようだ。ここは長い間ホタルが楽しめる地域なんだなあ。さて、もう一つのシマボタルは幼虫のことかな? そのほかに聞いたウジボタルは何らかのホタルの幼虫を指すのかと思ったら、ヘイケボタルのことも指すようだ。時期がくるとたくさん発生するのでこう呼ばれるらしい。最後に発生するホタルだからもはやありがたみがないのかもしれない。