情熱大陸宝塚月組みトップスター「瀬奈じゅん」プロデュースしました。よろしかったらご覧ください。そんなメールが来た。見てみるか……。
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骨、筋肉、腱、腱鞘、靭帯=骨は人間の体格を形作る基本組織。腱は丈夫な線維組織の束で、筋肉(骨格筋)と骨をつなぐ。腱鞘は腱の周りを包んでいる組織。靭帯は骨と骨をつなぐ組織のこと。炎症を起こした腱は、動かしたり、さわると痛みを伴う。腱の近くの関節をわずかでも動かすと、強い痛みを伴う。腱鞘は、液体がたまって炎症を起こしているので、明らかに腫れることがある。腱炎は腱の炎症で、腱滑膜炎(腱鞘炎)は、腱の周りの保護皮覆の炎症を伴う腱炎だ。人間の動きをつかさどるこれらすべての組織は大切なものだ。その動きをコントロールするのが神経なのだから神経が切れたら筋類はうまく協調しない。膝の傷が深かったことを改めて認識する。
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週の中間にリハビリをし過ぎて縦走を行えるような体調ではなかった――。それが奥秩父全山縦走から半山縦走に切り替えて山行を完遂した結果の素直な感想だ。でも、リハビリの効果がすごく大きなものであることを認識した。また挑戦しよう。僕の地道な闘いはなおも続く。でも、すごく基本に立ち返った山行のような気がしたのは僕だけではないだろう。しぶとい山ヤになるための闘いは一向に終わりがないが、望むところだ。でもこんな山行はうだうだ考えるより実際にやってみるに限る。失敗を恐れていては技術は伸びないし経験は養えない。失敗しても大丈夫なような判断をしていけばいいのだ。そうすれば失敗しても必ず進歩する。
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こんな基本的なリハビリばかりやっていて筋トレはいったいいつするんですか――。そんな気持ちになる。でも、明らかに体が変わってきた。以前はリハビリを馬鹿にしていたところがあるが、今はそんな気持ちはまったくない。とりあえず筋肉を太くしといて時期がきたら一気に鍛え上げよう。今はそんなしたたかな気持ちがある。天気がよさそうならまた奥秩父縦走に出かけてみよう。今の僕は基本に立ち返ってリハビリをし、体そのものを強くする必要がある。もうちょっと時間がかかりそうだが、異状に強くなるかもしれない。しかし、この二年間のことを考えるとまったく違った人になるだろう。そんな状態であったにも関わらずのこのこ岩登りにでかけていただなんて。愚か者と呼ぶのがぴったりかもしれない。でも、あの岩を登るくらいはできるという自負と根性はある。それはとても大切なものだ。特に未踏の地の未踏の山域では。
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ガイド山行の死亡事故が続いていることを思うと、基本的なことを身につける難しさに思いが至る。ガイドには経験というのが何よりも大切だ。ガイドになりたいという人とロープをつないで急斜面を下っていたとき、「木本さん、こんなところでお客さんが滑ったことはないんですか」と聞かれた。もちろん「あるよ」と答えた。お客さんが不意に滑る、落ちることは実際にあることだし、それによって引っ張られたことがある。でも、それを止めるのがガイドだし、止めなれなければ自分も巻き込まれてしまう。そんなのは山に登ったことがなくても誰でもわかることだ。そして、それがいやなら選択肢は一つしかない。お客さんとロープを結び合わないことだ。ガイドはこんなところは大丈夫ですとか何とか言うかもしれない。でも、落ちるかもしれないと思ったところは落ちる可能性がある。その万が一を防ぐのがロープの使用だ。ロープは使いこなせなければ巻き込まれるというのは昨年の宝剣岳の死亡事故で実証済みだろう。このほかにもロープを中途半端に使っていたがためにつないでいた二人が死んだというのを知っている。これ自体は昔からあることだ。しかし、剱岳と穂高岳で起こったガイド山行中の死亡事故はそんなことについて真剣に考えさせる。僕がお客さんなら自分が死にたくはないからこそガイドを頼む。でも、そんなふうに思って頼んだガイド山行で事故が起き、死亡したとしたらガイド山行そのものが信じられなくなることだろう。ところが、新たにガイドを頼む人はそんな事故が過去にあったことを知らないかもしれない。だからまた同じような事故が起こる――。その可能性がある。事故によって深く反省し、更生し、伸びるガイドがいる一方で、命を失った経験を生かせず再び事故を起こしたガイドも実際にいるのだ。小さな事故を何度も何度も繰り返す人は問題あるよな。
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ガイドから見たガイド山行とクライアントから見たガイド山行には大きな温度差がある――。そんな話をクライアントとしたが、クライアントが言うことはいちいちよくわかる。実際この僕も山岳会では最初に先輩に連れられて登っていたが、その後は新人を連れて登ることが多かったからである。そんな経験をたくさん積んでいるからこそクライアントの気持ちがよく分かるのだが、ガイドを目指している今の人にはそういった経験が少ない人が多い。そんな人が山岳ガイドから登攀ガイド、国際山岳ガイドへとなっていくのだ。膨大な登山経験もなくガイドになっていく――。そんな現状がある。危機に際して応用が利かない。つまるところそういった話だ。クライアントの話を聞いていて経験を積んだクライアントは案外シビアな経験をたくさんしているんだなと思わされた。そんなふうに冷静に見れるには経験がいる。これまではたまたま死亡事故が起きていないだけで、死亡事故が起こる要因は自然ガイドから国際山岳ガイドに至る全ガイドにあるんだなと強く認識させられた。
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今井制夫さんが亡くなった。一月ほど前に会ったときは何だか急に老けたなという感じだったから心配はしていたのだけど、現実にそうなってみると後悔先に立たずの感だ。なかなか味のあるいい岳人だったし、尊敬できる人だった。たくさん学ぶべき点のある先輩ガイドだと慕っていただけに残念だ。教えてもらいたいことがまだたくさんあったのに。今はただやすらかにお眠りくださいとしか言えなくなった。しかし、自分の体は自分がいちばん知っているとしたら、残り時間も想像がついたかもしれない。残された時間があと一年、二年という限られた時間で何をすべきだろうか。
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いよいよゲンジボタルが飛び始めた。一年ぶりに見るあの青緑色の光が懐かしい。しかし、やはり体が重たいのだろう。ゆらゆら飛んでいく。よくよく見るとちょっとぎこちない飛び方だが、ホタルのこの飛び方には風情がある。うん、頑張れ、と応援してあげたい気持ちになるのかもしれない。まだ数は少ないがしだいに増えていくだろう。もうそんな季節なんだな。
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テレビ朝日でフェンシングの太田雄貴の苦悩を取り上げていた。先日のNHKスポーツ大陸だか何だかの番組のビデオも使って構成しているのだろうか。この太田雄貴の苦悩は僕と同じようなものかもしれないと思いつつNHKの番組を見ていたのだが、その思いがこの番組でまた湧きあがってきた。グリーンランドに行ったこと、登れなかったこと、登ったことで何だか岩登りがつまらないものに感じ目標を失ってしまったのだ。そういう気持ちを作り出したのは失望感かもしれないが、人間の気持ちと言うものはおもしろいものだ。成功したからと言って面白いものだったとは限らないのだから。何だか僕も目標を作って邁進しなければならないと思うのだがいまいちそんな気持ちにならない。そんな気持ちになったから余計体を壊したのだろう。でも、残念ながらまだリハビリの段階だから思いを振り切って明日を見るようになるまでにはもう少し時間が必要だ。来月からは少しずつ本格的なトレーニングを始めよう。僕だけじゃなくお客さんにもいい目標を作ってあげないとだめだな。
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今日、今井制夫さんの告別式に行った。間に合うかどうか厳しいところだったが、何とか間に合った。が、笑顔の写真を見ていたら悲しい思いが浮かんだ。そして、迂闊にも涙が滲んできた。何だか今井さんが呼びかける声が浮かんできたのだ。まだ、死ぬには早いよな。教えてもらいたいことがたくさんあったのに。
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リハビリをトレーニングとして取り入れ、この三ヶ月のリハビリによってみるみる体型が変わっていった体の変化によってその効果を実感しつつリハビリってすごいんだなと思っていたのだが、僕がやっていたそんなリハビリトレーニングの効果と重なるトレーニング方法をNHKの「ためしてガッテン」で紹介していたらしい。小さな力で大きな効果を得るというものぐさにはとてもいい方法ではないのかと思っているのだが、もちろん三日坊主ではまったく効果があがらない。効果が上がるかどうかは継続的に続けられるかどうかにかかっている。もちろん体の変化に合わせて負荷を変えるという動作が必要になるだろう。こんなに長く続けていると僕って案外トレーニング好きだったのかもしれないと思ってしまう。もっとも好きな山を安全に楽しく登るためにはトレーニングをするしかないのだが……。でもリハビリからトレーニングへの転換はとてもうまくいっている気がする。思いのままに動けるようになるにはまだあと少し時間が必要なのかもしれない。
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上記項目は登山を考えるヒントにもなる事柄なのだけどどう料理するかは経験しだいかもしれない。
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リハビリトレーンニングはここに来てようやく負荷をかけるように進展させた。岩登りと相俟っておかげで筋肉痛だ。もちろんやさしめのトレーニングしかしていないから、もともと傷めて筋力が弱くなっていた部分が筋肉痛になっているのだろう。そこはすぐに強くなるだろう。しかし、筋肉痛がとても気持ちがいい。
ところで、読んでみてくださいと言われ、「リアル」という漫画を渡され、そのまま借りてきた。障害者スポーツ、車椅子バスケの話だ。二巻まで読んだところだけど、凍傷になったときのことを思いだす。障害を負ったときの記憶がリアルに思い出される。確かになんで自分が、自分だけがという気持ちが生じるのだけど、障害自体は二度と回復するものではないからそこから前進するには現実を受け入れるしかない。健康な者が突然障害者になるから頭は混乱するのだ。そんな状況がよく描けている。二年前のけがを引きずってリハビリを行っている僕は、今はまた凍傷とは別の現実と闘っている。それは孤独な戦いだ。
山の事故でもこの漫画のように脊髄損傷が起きることがあるからこの漫画は実は山ヤにも当てはまる。実際にそういう事例を知っているから彼は今どうしているのかと気にかかる。しかし、今、僕はグリーンランドの未踏峰の登攀に出発する直前のけがのリハビリをしている。そんなふうに書いていた僕のHPの文章を見てこの本を貸してくれたのかもしれないなと思ってみたりするが、詳細は分からない。三巻、四巻は人の負の生き様の話だ。これはちょっとやばい。泣けてくる。これはフィクションだけど実際いろいろな人の人生にはいろんな現実がある。
昔、パラリンピックのコマーシャル映像を見ていて驚かされた。片足が義足だったり、義手だったりするのだけど、鍛え上げたその体はまるで健康な人以上の輝きを持っていた。体に障害があっても心は健常者と変わらない。障害者だってもちろん意思を持った一人の人間だからそういった話題を取り上げていくのはいいことだと思う。なかなかいい話だし、上手な構成でもある。なんだかんだいいながらもすぐに借りてきた七巻すべてを読んでしまった。こういう話を小説風に書いてみるというのも面白いかもしれない。
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マイケル・ジャクソンが死亡。死因不明。享年50歳。若すぎる死だけど、一部で皮膚移植?漂白?などと言われている肌の色の変化が原因を作っているのだろうか。遺体を解剖して死因を調べるようだが、解剖の結果では死因を特定できなかったそうだ。今後毒物や薬物の検査をするそうだが、その検査結果が出るまでに4〜6週間かかるらしい。「ロイター通信などによると、マイケルさんの家族の弁護士は、マイケルさんがダンスで体を酷使して使っていた痛み止めが命にかかわるほど危険だとして、本人や周囲に警告していた」という。痛み止めと酒が原因かもしれないな。それによって心臓に負担がかかり、血圧低下が起きて死亡したのかも。死亡直前には三時間ほど公演のリハーサルをしていたらしい。直前までは死の影はなかったようだ。遠因はどうであれやはり直接の死亡原因は心臓発作なのかもしれない。ヘルストニックと呼んでいた麻薬性鎮痛剤「デメロール」の注射が原因とも言われているが、医師はデメロールの注射を否定しているそうだ。
Yahoo!動画 - 音楽 - マイケル・ジャクソン スペシャル
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マイケル・ジャクソンの死の二日前のコンサートに向けたリハーサル映像が公開されていたが、それを見る限りはダンスの切れもいいし、死の影はない。それを見ると本当に突然の死だったんだなと思う。鎮痛剤の使用についてはデメロールとは違った薬品の使用が取りざたされ、自宅から麻酔薬「プロポフォール」が見つかったと報じられ、ついに麻薬捜査官が乗り出したという。死は事件の様相を呈してきたが、結果はどうなるのだろう。遺書が出てきたが、遺書はマイケル・ジャクソンの孤独を映しているようだった。直前の幼児虐待裁判とスーパースターが故の孤独が死を呼んだのかもしれないなと思わせた。このまま公演が成功していたらまた違った人生が開けていたのではないかと思えるだけに残念でならない。 最新の情報ではジャクソンさんの自宅から麻酔薬の「ディプリバン」が見つかったと報じている。
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リハビリトレーニングを始めて早くも三ヶ月がたった。たいしたトレーニングではないかもしれないが、リハビリトレーニングが面白くなって、止められなくなってきた。リハビリトレーニングは小さな力でやっている割には大きな効果があり、体型改善のスピードがアップしてきた気がするからだ。先週から筋肉に負荷をかけるようになったから体型改善のスピードは一段と上がるだろう。
リハビリトレーニングが面白いと思えるのは未来の展望が開けるからだ。つまり、トレーニングの進み具合によってだんだん大きな山、困難な山を登ることができるようになると実感できるのがトレーニングの楽しさの一因を作っているのである。膨大な過去の登山・登攀経験があるからリハビリトレーニングによる体型の変化によって自分がどのくらいの登山や登攀ができるのかがすぐに分かる。「しぶとい山ヤになるために」の原稿を書きつつ、その原稿が自分自身やトレーニングをすることをも鼓舞しているようにも思えてくるのはそんなことが原因になっている。
この原稿は登山経験を積んで成長するとともにだんだん行動が激しくなってきているからこんなことできるわけはないだろうと思い始めている人もいるかもしれない。これは別の世界の話だと切り捨てるのは簡単だが、これらの話は皆事実だ。しかも山学同志会に入ってまだ一年もしないうちの出来事ばかりである。やろうと思わなければできないことかもしれないが、やろうと思えば誰でも必ずできることである。二年目以降の行動がもっと激しくなるのはいうまでもないからこれはまだまだ基礎的な段階の話なのである。
そんな山行の先に気持ちが向かなければ今のリハビリトレーニングも山行もできるわけはないが、そう思って努力することがいかに大切か。僕のリハビリの先にあるのは困難な登山や登攀だが、目標はもちろんもっと先にある。何しろこれらは山学同志会在籍一年目までの山行なのだからもっと先を見据えないことには話しにならないと思ってしまう。この段階で停滞なんかしていられない。
でも、やりすぎには気をつけなければならない。何しろマイケル・ジャクソンと同じ年代なのだから。しかし、やっているのがリハビリを兼ねたトレーニングだし、「いい加減に」やっているから心不全の心配はないだろう。それでも負荷をかけ始めたから今は全身疲労状態ではある。一つ山を越えないことにはこのトレーニングは楽にはならないだろう。少なくともその山ができるだけ小さくなるように心がけてトレーニングをしよう。でも山はこれからいくつもでてくる。言うなれば欲が深いからだが、ある程度力がついたらゆっくりレベルを上げていけばいい。