「厳しい経験をするとちょっとやそっとではつらくなくなり、より楽しめるからです」ガイドになりたいと言う人とバリエーションルートを登りに行ったところ、多少天気が崩れてやや厳しいガイド山行になってしまったのだが、そのときの人からそんなメールが入っていた。確かにその通りだろう。厳しい経験をたくさんしないと余裕なんてでてこない。余裕がなければガイドなんてできるわけがない。膝を壊していた僕にとってもそれはそれなりに厳しい山行ではあったが、技術や体力や余裕はまったく違う。それまで積み重ねてきた経験は自分がどの程度の行動ができるか的確に判断を下す。それはその山行以上に厳しい山行をいくつもこなしているからこそ出てくるものである。だからこそガイドになりたいというのならできるだけ多くの経験を積んで欲しいものだと思う。ガイドに必要な技術は繰り返せば学ぶことができるが、本当の登山技術は厳しい経験をたくさん積み重ねないと身につかない。そういえば富士山を登りに行ってみようかな。富士山ブームだし、足がどのくらいのものか知りたいし……。でも夏山登山の時期が終わってからでないと危なくてしようがない。
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前線が上下して毎日雨――。北アルプスはまだ梅雨が明けてはいなかった。関東甲信は梅雨明け宣言をしたのに毎日こんなに雨が降ってどうするんだよと言いたくなってくる。例年海の日あたりは梅雨が明けるかどうかぎりぎりのところだけど、今年の関東甲信は梅雨が明けたというが、実際のところは関東はまだしも甲信はまだまだ梅雨明けには遠い感じだった。しかたがないから雨でも歩いて登ることができる山を登ってきた。樹林帯を抜け、標高が3000メートルに近くなると、稜線はハイマツ帯で風をさえぎる高木がなくなり風が強くなった。時おり吹く強い風は突風のように体を翻弄する。時おり激しく降る雨の粒はあられか雹のようにも思え、体を打ちつける。雨が強く、風が吹き荒れ、気温も低いとなればさすがに大雪山を彷彿させ、遭難する可能性が高くなることを認識する。大雪山の遭難事故に思い馳せると、彼らの苦労を偲ぶのは容易であった。オホーツク海高気圧から寒気が入った大雪山はさぞかし寒かったことだろう。テレビの映像では山の斜面が白いもので覆われていたように見えた。そんな光景を見ると大雪山では夜半みぞれが降ったようにも思える。いずれにしても日中は雨だろうが、激しい雨なら皆目の前か足元しかみないだろう。目の前や足元しか見ない山行はよくない。それは大雪山の大量遭難を見れば明らかだろう。激しい雨風は目を足元に落としがちで、周りを見させない。そんな状況の中ガイドが気持ちも実際の態度も前しか見ていなかったとしたらたとえまとまった人数で歩き始めたとしてもしだいにばらばらになっていくのは道理だろう。疲労すればもちろん歩みはのろくなる。ガイドがツアー客に早く来いといってもツアー客に早く来られる体力などありはしない。だからこそ遭難が起こるのだ。早く行くことしか考えていないガイドが振り返ったらわずかしかいなかったというのも当たり前だ。彼らはなぜ死に向かって行進をしたのだろうか。その理由の一つにはツアー会社とツアーガイドとの力関係が挙げられるのだろう。そしてもう一つにはガイド自身に悪い状況下での登山経験が少ないというガイド自身の登山経験の貧弱さが挙げられるのではないだろうか。登山は経験をたくさん積めば、その中には死にそうになった、あるいは事故を起こしそうになった経験もきっと含まれてくるはずである。そうした経験は人間を成長させる。もちろん知識や技術や判断もである。それは同じ日に同じコースを歩いた同年代の人の行動から考えるとまったく違った意識と行動に映る。自分の力で行こうという人は肉体は同じようであってもそもそも精神が違う。ツアー客に対する判断基準は丹沢で体力を測り、他の山に通用するか見ていたのらくろだったか名前は忘れたが神奈川の山岳会の山行参加資格判断システムと同じような危うさを持っている気がする。それが仙ノ倉岳だかで遭難した人たちの参加資格の判断基準になっていたのだが、その当の判断基準が甘ければ事故が起きるのは道理だろう。ツアー登山経験そのものが好天時の登山経験の積み重ねだからこういった判断ミスも起きるのだろう。好天時の通りいっぺんの登山経験では山で生き残る知恵は決して身につかない。ちなみに4人いたガイドのうちの1人は次の山行のために避難小屋に残ったと書いてあったと思う。このあとのパーティーが避難小屋に入るためにスペースを確保しておく計画で動いているのなら前のパーティーである遭難パーティーは必然的に心太式に押し出されることになるのだと思うけど……。そうであれば事故は最初から予想できなくもない。このあたりのことはどうなっているのか。読売新聞社説で山岳ガイドのことをばっさり切り捨ててあったけど、実際そうだよなと思ってしまう。
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石の上にも三年という言葉があるが、ことトレーニングに関しては最低でも三ヶ月の努力が必要らしい。基本的なリハビリのみで三ヶ月やったが、結果をみると確かにこの説には一理あるかもしれない。その後徐々にウェイトトレーニングを取り入れ、少しずつ負荷を増やして発展させてはいるが、リハビリそのものはそのまま今もまだ続けている。リハビリの発想はとてもいいし、基本的な部分はまだまだ鍛えなくてはならないと実感しているからだ。リハビリは第三ステージに入り、邁進中だ。リハビリしてもなかなか痛みが取れないところは自分で工夫を凝らしてその周囲を強くする算段を考え、実際試してもいる。そのせいか治しておきたい部位である膝、腰、肩は実際だんだん強くなってきた。やがて本当に回復の目処がつくだろう。もちろん今でも無理が利くから普通の人と比べたらずっと強いとは思うけど、どんなところでもガイドができるようにするにはそれなりの力がいるし、ガイド自身に努力が必要になる。事故は起こしたくないという気持ちも強い。ならば今の僕はトレーニングをするしかないのだ。ところで太陽が75%もかけると若干空が暗くなるのかと思っていたのだけど、日食時も明るさはあまり変わらなかった。ネパールで日食に出くわしたときはちょっと暗くなって見づらくなったのでもっと暗くなるのかと思っていたのだけど、どうやら太陽がもっと欠けないと薄暗くはならないようだ。皆既日食の場合はもちろん暗くなる。そのときは月の影が地球表面を移動していく。円形に暗くなるというのは水平線は明るいと言うことなんだな。船上からの映像はそれを映し出していた。面白いね。実際に一度見てみたい。
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岩を独りで登るために探していた器具は見つかったのかという問いには確かに見つかったと答えた。しかしまだ独りで岩を登りに行こうという元気はない。リハビリ&トレーニングのせいで体が疲労しているせいかもしれないが、実はもう少し力がつくまで待ちたいのだ。実際のところ独りで登り始めるとがんがん登る恐れがあるから、もう少しリハビリをして膝を、股関節を、腰を、肩を強くしておきたいし、そうしておかねば心配だ。ここでまた無理をしたらせっかくの努力が水の泡になりかねない。何も今無理をして頑張らなくても僕の体はそういう時期が来たら自然に反応することを知っている。おそらく今はまだその時ではないのだろう。そうなるまでに基礎的能力を一ランク上げておきたい。実際5.12aくらいが単独システムでしかもオンサイトで登れたら面白いよな。そこまで持っていくには相当の努力と根性がいる。でもやってみる価値はある。このシステムでオンサイトしたのは5.11aまで。ルートによってはもっと上までできるだろうが、5.12になるとどうか。実際のところは5.9をリードするんだってけっこう怖いからなあ。
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この雨は「梅雨の戻り」と言うらしいが、実際は梅雨があけていなかったというのが本当だろう。実際、梅雨が明けていたら前線がこんなに停滞するわけはない。梅雨明けの見直しがあるだろうということだが、この梅雨が明けるのは八月になるかもしれない。梅雨明けさせてもよかったのは関東だけだろう。甲信は全然だめ。雨ばかりだもの。いまはまだ梅雨前線が日本列島の上空にある。九州北部、山陰は梅雨末期の集中豪雨だ。それもこれも太平洋高気圧が弱いせいだが、ミンミンゼミは勢いよく鳴いている。昆虫が示す季節はすっかり夏だ。そういえばしばらく前にここでもヒグラシが鳴いた。でもヒグラシの数が少ない気がする。このセミたち土の中で七年、地上に出てきて一週間の寿命と言われてきた。しかし実際は地上に出てきて一ヶ月ほどの寿命があるそうだ。実際そうでなければ出合はずいぶんきついものになるのではないかと心配していた。セミにとってはよけいな心配だろうが彼らの婚活が非常に気になっていたのだ。
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体の様子をみていると靱帯や腱を鍛えるというのも必要なんだろうなと思う。が、こんな部位はどうやって鍛えればいいんだ? その目的は強く柔らかくするということかだが、本当に強く柔らかい靱帯や腱にしたい。どうやら腱も傷めていたようだ。このリハビリ&トレーニングのために「クライマーズ・ボディ」を読んでみたけどあまり役立たなかった。この本けっこう誤字脱字があった。それがやたら目に付いた。物書きはいやだな。そんなところがかってに浮かび上がってくる。でも、やはり専門書の方が知りたいこと、試してみたいことが書いてある。リハビリもトレーニングも自分のためにするものだから、実際自分自身の体を使って試して試行錯誤してみるしかない。そうやって試行錯誤しながらもここまで来たこと自体すごいことだ。実際半分以上だめかなと思って諦めかけていたのだもの。でも最近回復のスピードが鈍ってきた。たぶん残りはだんだん深い傷だけになってだいぶよくなってきたってことなのだろうが――。あともう少しなんだけどな。体を試すのにからっとした天気が欲しい。ちなみにこの本でいちばんいいと思ったのは平山ユージの巻頭インタビューだ。
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北海道大雪山系の遭難事故について尋ねられることがあるけど、体力がなきゃ死ぬのが山だからなあとしか言いようがない。知識や技術や経験はそんな状況を回避するために身につけるのだし、あるのだけど、そういったものがまったく役に立たなかったということか。もっともそんな力はガイド自身の登山経験の中にそういった痛い目に遭ったり、ガイド自身の技術や体力を超えるような経験がなければ身につかない。実際のところはそんな経験があるはずのガイドだってクライアントが死亡する事故を起こしているくらなのだから何をかいわんやである。しかし、そんな力しかない人たちの参加を許したのがツアー会社だし、彼らを連れて行ったのがそういったガイドで、そのガイドにそこをガイドするのに相応しい力があると認定したのが社団法人日本山岳ガイド協会で……。ややこしいことだ。早い話それぞれの組織・個人が反省しなければ話しは前進しないということだ。この先どんな展開になるのか。トムラウシ山の遭難もすごいけど、美瑛岳の遭難も負けず劣らずすごい。一人に一人のガイドがついていてなんで遭難死するかね。低体温症は無理をしなければ防げるのだけどな。一対一は安全を重視したものではなかったのかもね。ガイドにこの山の経験ではなくもっと基本的な登山経験と登山の知識が不足していたということだろうな。それに一対一と言ってもクライアントの荷物を持つためと言う理由の形だけ一対一なんだろうな。こんな事故ばかり起きていてはガイドの権威は失墜、地に落ちてしまう。参ったね。こんなこと聞かんといてんかって言いたくなってくる。経験を通して知識が知恵にまで発展しないと話しにならない。みんなは山を割り切って考えようとするけど実は割り切れないことがたくさんある。僕はそんな経験ならたくさんしている。生きるためには、生き抜くためにはいい加減に対応しないとうまくいかないときがたくさんある。まあそれって結局体がわかっているのだと思う。いわゆる直感ってやつ。僕は案外直感で動く。でもそのせいで今まで何度命が救われたことか。目標の遂行と言う点では同じなんだけど、その結果が生と死では結果はあまりに違いすぎる。僕は頂上には登るけど、そのあともずっと生き続けて次の登山計画を考える人間でいる方がいいなあ。つまらない無理をして死んでしまったらもはやそんなこともできやしない。百名山を一個増やしても命を一個減らしてはどうしようもない。命は一人にたった一個しかないかけがえのないものなのに。
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疲れているのにトレーニングをし、トレーニングをしすぎて手首周辺をパキリそうになった。やりすぎはいかん。健康なところを傷めてしまっては話しにならない。それもこれも下半身がまともな状態になる前に上半身を鍛えておこうという思いが強いせいだが、それにしてもやりすぎはいかん。実のところ、トレーニングをするのは嫌いじゃないし、山を、岩を登るためなら酒だってきっぱりやめてしまうのが僕だからやり過ぎには本当に注意しなければだめだと実感する。トレーニングは自分自身の性格を読みきって、それに合わせていい加減にやるのが長くやり続けるこつだ。やり過ぎはかえって健康な体を壊してしまう。それだけ体の調子がいい、調子が上がってきたということでもあるのだろうが、無理をしたおかげでこんな体になったのだからここは無理をせずじっくり、しかもしっかり体を作るべきときだ。山も同じで一歩引いたところから見ているのがいちばんいい。いい加減に登っているのがいちばんいいのだけど、周りも見ずに突っ込むと大雪山系の遭難事故のようになる。いい加減というのはちょうどいい加減ということである。いい加減に登るというのは案外難しい。ところで『一流の思考法』(森本貴義 もりもと・たかよし ソフトバンク新書)という本、面白いかもしれんな。すぐに読めそうだ。どこかで立ち読みしてみよう。