甲状腺機能低下症

甲状腺機能低下症は甲状腺ホルモンの分泌量(活性)が不十分となる疾患です。先天性のものや幼少時発症のものは、発達上の障害が大きな問題となるため特にクレチン症といいます。甲状腺ホルモンは全身のエネルギー利用を促すホルモンで、エネルギー需要に応じて甲状腺から分泌されますが、本症ではこれが不足するので全身でエネルギーを利用できず、神経系、心臓、代謝など各器官の働きが低下します。甲状腺ホルモンの不足する状況としては、分泌調節の段階から次のように分類できます。
①原発性 : 甲状腺自体の問題のため分泌ができない場合
②二次性 : 甲状腺刺激ホルモン(TSH)が低下しているために甲状腺ホルモンを分泌できない場合
③三次性 : 甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン(TRH)が低下しているためにTSH、甲状腺ホルモンとも分泌できない場合
④さらに、ホルモン分泌量は十分でありながら、受容体の異常によって利用できていない状態
 甲状腺機能低下症は永続性である場合と一時的である場合があります。治療を行う場合はそのどちらであるかをよく見極めることが大切になります。無痛性甲状腺炎後の甲状腺機能低下症の多くは一時的なものです。甲状腺自体に異常があるという場合は原発性甲状腺機能低下症と呼ばれます。甲状腺機能低下症のなかで、もっとも多くみられるのは、原発性甲状腺機能低下症です。橋本策博士によって発見されたので橋本病という名前がつきました。二次性、三次性のものは脳腫瘍が原因となることが多いです。自己免疫障害によって甲状腺が攻撃される橋本病では、甲状腺が慢性炎症を起こして機能が低下します。これは原発性に分類されます。発展途上国では甲状腺ホルモンの材料であるヨウ素の摂取不足により甲状腺ホルモン自体を合成できないことが原因となることがあります。このほか、手術により甲状腺を摘出したり、放射線療法により甲状腺機能を廃絶させた場合に医源性の甲状腺機能低下症となります。原発性甲状腺機能低下症の橋本病の場合は、自分の免疫系が自分の甲状腺に反応してしまい、その結果、甲状腺に炎症が起きている状態です。橋本病の場合、甲状腺に炎症があるだけでは、特に問題はありません。橋本病は、中年女性の10人に1人はいると言われるほど多くの人が患うものですが、ほとんどの橋本病の患者さんは、橋本病と診断されても、ただ甲状腺が腫れているだけで、甲状腺機能は正常です。ただし、炎症が進むと甲状腺の働きが低下してきます。さらに、経過中に甲状腺ホルモンが高くなることもあり、バセドウ病と間違えられることもしばしばあります。発症の原因としてよく見られるのは、出産や大きなストレスのほか、ヨードの過剰摂取があります。甲状腺機能が正常であれば、とくに治療も必要なく問題はありません。橋本病の人のうち、2割程度の方に甲状腺機能低下症がみられ、「皮膚がかさかさする」「顔や手がむくむ」「寒がり」「便秘」「あまり食べないのに太る」「髪の毛が抜ける」「生理の量が多い」「物忘れしやすい」などの症状が表れます。中年以降の女性にはよくある症状ですので、これらの症状があっても甲状腺機能低下症とは限りませんが、逆によくある症状なので、ただの更年期障害や老化現象と勘違いされがちなのです
 症状は全身がエネルギーを利用できなくなるため、症状は多岐にわたります。主な症状は、強い全身倦怠感、無力感、皮膚の乾燥、発汗減少、便秘、上下肢、脇、眉の外側の脱毛、声がかすれる、聴力の低下、目に光がなくなり、顔もぼってとする、鍵の開け閉めなどできにくくなる、体重増加などです。全身の活動が低下し無力感を持ったり低体温になります。皮膚の活動の低下により発汗が減少、それに加え低体温であるため皮膚が乾燥します。代謝が低下することにより皮下に粘液状の物質が沈着しむくみます。このむくみは粘液状物質でできているので粘液水腫といいます。この場合見られるむくみは、指で押しても全く圧痕を残しません。腸管も活動が低下して便秘になり、活力の低下により精神活動も緩慢となり、偽痴呆を呈することがあります。心臓も活動が低下して徐脈になります。心臓への粘液状物質の沈着も見られ、不整脈の原因となります。本症で最も問題となる症状は早老による動脈硬化などです。また子供のクレチン症の場合は生育に必要な甲状腺ホルモンが欠如するので、発育障害や知的障害にいたる場合があります。
慢性甲状腺炎以外に甲状腺機能低下症を来すものとして次のようなものがあります。
■ 無痛性甲状腺炎
一時的に起こる甲状腺中毒症です。症状は甲状腺機能亢進症のバセドウ病と似ていますが、バセドウ病と違うところは1〜2ヶ月という短期間で自然に治ってしまうことです。自然に治る途中で一時的に機能低下症を示しますが、結局は正常に回復することが一般的です。
■出産後甲状腺機能異常症
慢性甲状腺炎の人では出産直後の半年間は甲状腺機能がとても不安定です。この時期にいろいろな種類の甲状腺機能異常がみられますが大部分は一時的なものです。慢性甲状腺炎と診断されている場合は出産後2〜3月目に甲状腺の検査を受けて下さい。
■ヨードの過剰摂取による甲状腺機能低下症
ヨードは甲状腺ホルモンの原料ですが過剰に摂りすぎると甲状腺の働きを妨げることがあります。昆布、根昆布、わかめなどはヨードを多く含みますので、これらを習慣的に摂取すれば甲状腺機能が低下して甲状腺が腫れることがあります。また、すでに腫れている場合には腫れが大きくなります。このような場合はヨードの過剰摂取を止めれば速やかに回復します。
■慢性甲状腺炎急性増悪
慢性の甲状腺の炎症が急に強くなったために甲状腺の痛みや発熱をきたすことが稀にあります。ステロイド系の消炎鎮痛剤で治療します。炎症が強くおこった後は急速に甲状腺機能低下症になってしまいます。また薬の治療で症状が抑えきれない場合は手術によって治療します。
■悪性リンパ腫
慢性甲状腺炎に悪性リンパ腫というリンパ球の腫瘍が続発することがごくまれにあります。ただし悪性リンパ腫は稀な腫瘍で甲状腺の悪性腫瘍のわずか2%程度しかありません。超音波検査で偶然発見されることもあります。甲状腺の腫れが急速に大きくなって気づくこともありますので、このような時はすぐ病院を受診して下さい。
■海藻の取りすぎ
海藻の中には「ヨード」という成分が多く含まれています。「ヨード」は甲状腺ホルモンの原料です。適度にとっていれば体にいいものですが、過剰に摂りすぎると甲状腺の働きを妨げることがあります。「昆布」や「わかめ」などの海藻類がヨードを多く含みますので、これらを習慣的に摂取すれば甲状腺機能が低下して甲状腺が腫れることがあります。そして、すでに腫れている場合にはヨードの取りすぎにより腫れが大きくなります。このような場合はヨードの過剰摂取を止めれば回復します。
 甲状腺機能低下症で調べる検査は血液検査とせいぜいエコー検査ぐらいです。エコー検査では甲状腺の全体像を調べますが、検査時には痛みや圧迫感もなく、身体に無害です。診察台に横になる、もしくは座ったままでも検査でき、喉にジェルを塗るだけですので検査時間は5分程度とすぐに終わります。甲状腺エコーではバセドウ病、甲状腺機能低下症、橋本病、甲状腺炎、甲状腺腫、甲状腺がんなどを疑うことができます。
 血液検査で調べるTSHというのは甲状腺刺激ホルモンといって甲状腺を刺激してホルモンを「出して!」「減らして!」とホルモン分泌量を調整しする、下垂体前葉と呼ばれる脳の重要な部分から分泌される命令ホルモンの一つです。そしてTSHの指令によってFT3とFT4の甲状腺ホルモンが体に必要な分量だけ分泌されるのです。TSHの基準値は0.50~5.00μIU/ml、FT3の基準値は2.30~4.30 pg/ml、FT4の基準値は0.90~1.70 ng/mlです。TSHもFT3もFT4上記の基準値がありますが、TSHの数値が高くなればなるほど甲状腺を刺激している証拠です。甲状腺機能低下症ではこのTSHがいくら高値になって甲状腺を刺激しても刺激しても甲状腺ホルモンであるFT3とFT4の数値が基準値を下回っています。甲状腺刺激ホルモンであるTSHが基準以上でFT3とFT4の数値が基準以下だと頑張っても甲状腺ホルモンが分泌できない状態を示し甲状腺機能低下症と診断されます。
 甲状腺機能低下があれば甲状腺ホルモン剤のチラーヂンSの服用が必要となります。甲状腺機能低下は治る場合もあり、一生内服が必要とは限りません。このホルモンの半減期は長いので、1日に何度も服用する必要がなく1日に1度服用すれば十分です。チラーヂンSを服用すると約1〜2か月で甲状腺ホルモン値が正常になり、今まで感じてた体の不調がな和らいできたという自覚症状が出てきます。内服を続ければ健康な方と全く変わらない生活をおくることができます。甲状腺ホルモン値が正常になっても何らかの症状がある時は、甲状腺以外の病気を考える必要が多いにあります。スクラルファート(アルサルミン)、アルミニウム含有製剤(マーロックスなど)、マグネシウム含有製剤(酸化マグネシウムなど)、コレスチラミン(クエストラン)、鉄剤(フェロミアなど)を飲んでいる方は、チラーヂンSの吸収をさまたげ、効果が弱まることがありますので、服用を8時間以上あける必要があります。妊娠した場合にも服用を勝手に中止してはいけません。
 チラーヂンSは人体にとって異物ではありません。本来、人体に存在する必要不可欠な物質です。適量を服用するかぎり、副作用は全くなく、太ることもありません。「ホルモン剤」と聞くと「副作用が強い」と想像しがちです。このチラーヂンSは強い副作用がありうるステロイドホルモンではありません。甲状腺ホルモンそのものです。このチラーヂンSの適量を10年飲んでも50年飲んでも副作用を起こすことはありません。「ご飯を食べる感覚」「朝起きてメガネをかけるような感覚」で日常の習慣として服用していけます。副作用のある薬剤として考える必要はありません。妊娠中も服用できます。甲状腺ホルモンは胎児の脳の発育にも必要です。甲状腺機能低下症で投薬治療している状態で妊娠に至った場合は、妊娠中にも絶対に服用する必要があります。妊娠中の薬剤使用は非常に注意すべき事柄ですが、このチラーヂンSは母体と胎児にとって薬剤ではありません。母体と胎児にとって必要不可欠な栄養素です。薬を服用せずに甲状腺ホルモンが不足した状態だと胎児の発達問題へつながり、最悪の場合は流産してしまう可能性が非常に高いです。チラーヂンSはもともと体の中にあるものですから、ほとんど副作用はありません。ただ、飲む量が多すぎると、動悸がする、汗をかきやすい、手指がふるえるなどの症状が現れることがあります。このような症状があらわれたら、すぐに主治医に連絡してください。
 チロナミンという薬もありますが、これはT3製剤です。効き目は早いですが体内からの消失も速く、効果は長く続きません。すぐに甲状腺ホルモン濃度を上げたいときに適しています。服用方法、副作用については、チラーヂンSと同様です。チロナミンも、もともと体の中にあるものですから、ほとんど副作用はありません。ただ、飲む量が多すぎると、チラージンSと同様に動悸がする、汗をかきやすい、手指がふるえるなどの症状が現れることがあります。